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あなたも幸せ。私も幸せ。

カテゴリ: ひらめく


雨の外出で疲れた体を、まだ陽が落ちきらない時刻の長風呂で癒す。丁寧に体を洗った湯あがりは、すっかり火照ってクラクラする。熱が引くまでと横になったらウトウトしたらしい。キュウリ畑の夢を見た。

沖縄を思わせる冴え渡った青空の下、畑にはキュウリがたくさん実っている。ツヤツヤしたの、真っ直ぐなの、伸びすぎたの、曲がったの、膨れたの、いろいろ見える。農夫がいる。なぜ全部真っ直ぐなのにならないのかと悩ましい。

同じ長さ、同じ太さ、真っ直ぐなキュウリだけであれば、商品として大変売れ行きがよく、儲かりやすい。伸びすぎたり曲がったりしたのは価値が下がる。できれば1本のハズレもなく、真っ直ぐで丁度良い長さのキュウリにしたい。

私は、自分は農夫なのだろうと思っていたけれど、農夫を外から見ているところから、何か別の者らしいことに気付く。ふと、農夫とは違うことを考え始めた。真っ直ぐのキュウリは高い。買えなくて、食べられない人もいるかもしれない。

曲がったキュウリは安いから、真っ直ぐが買えない人でも食べられる。漬物には、ちょっと伸びすぎたやつのほうが合う。そうか、曲がったやつにも、伸びすぎたやつにも、それにしか持てない価値があるのだ。

それでも、どうにも価値がなくて捨てられるキュウリも出てくる。それはそれでいい。また土に帰っておいで。その時気がつく。そうか、私は農夫じゃなくて畑なんだ。改めてキュウリたちを見る。もう、どんな形でも大きさでも構わない。

ただ、それぞれがあるように育ってくれればそれでいい。全部が同じであってもいいし、なくてもいい。そうか、育むとはこういうことかと納得する。農夫の悩みでさえ、あってもいいし、なくてもいい気がしたところで目が覚めた。





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朝の改札前で、念入りに防寒対策をした女の子と、初老の紳士が二組、熱心に話をしている。

ただならぬ空気が漂っているのは、ひと組は握手をした姿勢のまま、もうひと組はお互いの瞳を覗き合うようにして話しているから。

横を通り過ぎる刹那に、紳士の声が耳に入る。

「いいかい。実力は十分だ。あとはそれを発揮すればいいだけだから…」

そうか。高校受験に向かう中学生と、塾の先生だ。



自分もかつてあんなふうに、生徒を励まして送り出した日々があったことを思い出す。

「あなたが受からないで誰が受かるの?もしあなたを合格させない大学だったら、通ってもろくな所じゃないから、こっちから見切ってやりなさい!」

相手が変わると励ます言葉も変わる。

普段どんなにシャイな子でも、反抗的な子でも、話を聞きながら透き通った瞳でまっすぐに見返してきた。

その瞳に宿る光の中に、共に積み重ねてきた時間の意味を観たものだった。



振り返ったわけではないけれど、その二組のことが強く印象に残る。

世間では、あらゆることが平等に、あちこちで同時に起きている。

その中のどれに目がとまるかは、その人が何を見たいと思って生きているかによるのだろうな。




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できれば「楽して大金持ちになったまま充実感を味わいつつ栄耀栄華に暮らし続ける方法」とかを観たいものだと思っているんですが、まだ見たことがありません。


グレゴリーのカバンが好きで、愛用している。

様々なサイズで計4つ。

どれも、オーソドックスな色柄ではなく、なかなか奇抜なものばかり。

気配りの行きとどいたデザインのおかげでとても使いやすいのだが、なぜか格好良く使えないできた。

なぜだろう。

他の人が持ち歩いているのを見ると、とってもスタイリッシュなのに。



サッカー観戦のお供には、一番大きい方から2番目のカバンを使った。

ところが、やはりカッコ悪い。

通りすがりの鏡に映る自分を見てがっかりした。

なぜだ??



冬のサッカー観戦は、甘く見ると痛い目をみる。

とにかく寒い。

陽が翳ってしまうと気温が急に下がるし、風が吹けば体感は氷点下だ。

ベンチコートにハーフサイズのブランケット。ネックウォーマー、帽子。

防寒グッズは数多い。

カバンの中はそれらでパンパン。

温かい飲み物入りの水筒なんか入る余地がない。

途中で財布を出そうなどしようものなら、宝探しのような大変さだ。



サッカー場に行くと、みなさんカバンが2つになっている。

貴重品と防寒グッズが別のカバンらしい。

なるほど。

ならばと、自分も2つに分けてみた。

たしかに、宝探しをしなくてもよくなった。

ところが、それでも何かおかしい。

スタイリッシュではないのだ。

いったい、何が違うのだ???



4つ目のグレゴリーを手に入れたのは、お正月休みのこと。

今までで一番容量が小さい。

通勤バッグからこちらに財布などを移していて、ふと思った。

「明日絶対に必要なものだけ入れることにしよう。」

化粧直しのポーチはお留守番。お薬バッグもいらない。

歯ブラシセットも明日は使わない。

財布、眼鏡ケース、ティッシュケース、ハンカチ、定期券、読みかけの文庫本。

小さなバッグだけど、すき間がたくさん。

どれもすぐに取り出せる。

もうちょっと入れようと思えば入るけど、今日は入れない。

もうひとつの防寒グッズバッグはパンパンだけど。



この日、その2つのバッグで出かけた姿を自分で見て気がついた。

斜めがけのグレゴリーがカッコいいじゃない。

でも、手提げはカッコ悪い。悪すぎる。

ということは・・・・。



わかった、わかった。

そういうことだったのか〜。

これで私も、脱カバン不美人



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この発見は、カバンだけではなくて、人生全般に生かせそう。


1月1日から生まれ変わったと思って日々の生き方を様々に変えている。

たとえば、以前は一つのことを始めたら、予定していたことを終えるかキリのいいところまで終わるかするまで根性で続けていたが、今は違うやり方をしている。

自分で考えて、これをしたらいいかも?と思うことは自ら申し出て行動に移してきた。けれども、それも少し考え方を変えた。

食べるものも、食が細く、あっさりしたものばかり好むから体が丈夫にならないのだと言われて信じていた。だから忙しい時期には無理してでも食べて、頑張ろうとしてみた。が、かえって調子が悪くなった。お正月番組で1日5食ダイエットを紹介する番組を見て、私の食べ方はもともと太りにくく、体にも優しい食べ方だったのだと知って自信が出た。やはり、体が望むものは深い意味があるのだ。




自分にゆとりがなく、何をやっても追い詰められたようになるのは実力がないからだと思っていた。

だから、少しでも実力をつけようと躍起になってきたところがある。

でも、実力がないのは確かだが、ゆとりがないのは実力のせいではないことに気付いた。

気付いて変えてみたら、とたんに時間的・精神的ゆとりができた。

そうしたら、勉強する時間も気力もできて、ここから実力を育てていけると分かった。

なんだか、うまくいきそう。



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「やる気になるまで待って」と大書したトレーナーを着て仕事をしていたら、管理職に笑われた。
『やる気にはならないから待たないで』と書いた紙を上から貼っときなさい」
だって。

さすが、普段の意思疎通ができているだけあって深く理解されてるなぁ。


母の乳を飲んでお腹を壊したという私は、生まれつき極めつけの虚弱体質。

逆子で、予定よりも30日ほど早く生まれた。

逆子体操だとかお産婆さんのマッサージとかで、何度戻しても、すぐにまた逆さになったらしい。

首にへその緒が巻きついていて、健常で生まれるとは思えない状態だったし、実際、生まれてもしばらくは泣かなかったそうだ。

出生の時の壮絶な話は、前にも書いたことがある。

祖父母も父も、母でさえ、私を殺して母を生かす道を選んだ。医者も賛成した。

ただ、お産婆さんのみが「この子は絶対に死なせない」と、必死で取り上げたそうだ。

お産婆さんに感謝しなさいと繰り返し話す母を、私がどんな気持ちで見ていたかは想像してほしい。



初夢を見た。

母の胎内にいるらしい私は、こんなところには絶対に生まれたくないと絶望的な気持ちになっていた。

なぜかは分からない。

とにかく、生まれてなるものかと思った。

出ていかないためには、足を踏ん張るのがいいだろう。

ぐるりと、逆さになってみた。

誰かが押してきて、元の姿勢に戻される。

余計なことしないでよ!

何度戻されても逆立ちして、足を踏ん張る準備をした。

でも、それだけでは足りない気がした。

手を伸ばしたらヒモがあった。

それをぐるぐると首に巻きつけてみた。

これなら外には出られまい。

それが、何かの拍子に、思いがけず引きずり出されてしまった。

茫然自失。

いったい、何が起きたんだ?

笑顔満面のおばあさんが見える。

このクソババア!余計なことしやがって

と、おばあさんが観音様に変化(へんげ)する。

「いっておいで。」

バカヤロ〜

悔しくて悔しくて泣けてきた。



そこで目が覚めた。

なるほど、そういうことだったのか。

納得。



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今、岩波文庫の『西遊記』第3巻を読んでいます。
かなり面白いです。

それから、子供には、嘘でもいいから「あなたの命が何より一番大切だった」と話してください。お願いします。


友人が昨日結婚式を挙げました。

遠隔地でのお式だったので、帰省帰りにそのまま参列するという友人にメッセージを託しました。

ようこそ、人生最大の修行場へ



20代前半くらいには私もお呼ばれすれば参列していた結婚式。

でも、ひとつの出来事をきっかけに、その後は一切お断りして、弟たちの式以外には出たことがありません。

最初の結婚が破たんした直後、まだ混乱のさなかで、親友以外にはそんなことになったと言葉にすることができずにいたある日、高校の友人の結婚式に参列した帰りのことでした。

「お祝い、何か買って送ろうか。みんなでいくらかずつ出し合って。」
「そうだね、今日来ていない人にも声かけよう。」
「何がいいかな?選びに行ける人いる?」

そんな会話だったと記憶しています。

私も選びに行けるよと、言った時です。

「あなたに行ってもらっても縁起悪いしね。」

衝撃の一言でした。それを否定したりフォローしたりしてくれた人はひとりもいませんでした。

みんな、私が離婚したことを知っているんだなと思うと同時に、そうか、私はおめでたい席には不似合いな、縁起悪い存在なのかと素直に思ってしまった。

穴があったら入りたいというのは、ああいう感覚を言うのでしょうね。

以来、私は誰の結婚式にも出ていないし、その場にいた友人たちとは一度も会っていません。

何度か会えるチャンスはあったのだけど、そのたびに体調を崩したり、のっぴきならない仕事が入ったり。どうしても近づくことができませんでした。



誰が言った言葉か、他に誰がいたか、まるでブルーレイで高画質に録画したかのように記憶していて、いつでも生々しく再生できる体験。

本当に長い月日が流れているのに、いまだに忘れられない体験。

言った人を怨む気持ちには全然ならない。
フォローしてくれなかった人たちを嫌いになったわけでもない。
でも、忘れない。

その後の人生で、もっとヒドイことを言われたり、されたりした体験は山ほどあるのを適度に忘れているのに、どうしてあの記憶は薄れないのかな?

この問題は、長いこと私の中で大きな疑問でした。



先日、ふいに、その疑問が解けました。

そうか!そういうことか。
知らなかったこととはいえ、私が悪うございました。
あはは、な〜んだ



体は、私がこの謎を解くまで彼らに会わなくていいように、気を使ってくれていたのでしょう。

この謎が謎のままで会っても、私はまた別の何かで、彼らに同じことを言わせていたでしょうから。

ありがとう、体さん。



集まるチャンスがあったら、今度は行けそうな気がします。



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そんなチャンス、あるのかな???

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