「幸せというのはなぁ、安心だということなんだよ。」
「安心…。」
「そうだよ。自分の安心がまずあって、そこから冒険心だの、人への思いやりだの、未来への希望だのが生まれてくるんだよ。そのことを理解しておかねばならん。」
「安心…。」
「安心は、生きる基盤だな。
土台といってもいい。
そこががっしりと固ければ固いほど、飛躍もできるし、安住もできる。
ぬかるみの中に立っていては、飛び上がりもできなければ、立つのも難しかろう?」
「確かに、確かに。」
「世間でもよく耳にするだろうが?
あれほどの金持ちの家なのにもめ事が絶えず、少しも幸せそうに見えないだとか。
物持ちであっても、安心がなければ不幸なばかりじゃなぁ。」
「あー、あそこんちもそうだったなぁ。」
うんうんと頷き合ったのは、和尚さんと一緒に来た檀家さんたちだ。
身の回りにあったことらしい。
「土地も山も会社まで持っているのに、不平不満だらけでたまらん御仁がいるんですよ。
ほんとは付き合いたくないんだが、寺にとってはありがたいお布施をたんまりと…。」
「これこれ、品のない。」
和尚さんが芸人のように手を動かして話を制した。

「では、人はどうならば安心なんだろう?」
「そうそう。そのことよ。」

僕はその話を聞きながら、ふと母さん、姉さんと3人で暮らした子どもの頃の、小さなアパートを思い出した。
母さんはいつも笑っていて、姉さんが作るめしはいつも美味かった。
贅沢なものは何もなかったけど、楽しくて安心で大好きだった。

でも、楽しくて安心で大好きでない場所が家の外にあったから、家の中が一層好きだったのだ。
父親がいないことを、幼い者同士の愚かさで、からかわれたり腹を立てたりしたことがあった。
いつも同じ服を着ていると笑われて、恥ずかしいと思ったこともあった。
給食費がすぐに払えなくて、先生に困った顔をされたことも思い出す。

そのたびに、僕は、学校には僕の居場所がないのではないか、友達に見える人たちも、本当は僕のことが嫌いなのではないかと思ったものだ。
何か話すたびに、また可笑しなことをと馬鹿にされるのではないかと怖かった。
電気代を節約するのと、母さんたちと話していればそれでよかったので、うちはテレビをあまり見なかった。
だから、仮面ライダーの話にもついていけなかった。
子どもの僕にでも分かっていた。
そういう時は、ヘンに知ったかぶりをして何か言うほうが恥をかく。
笑顔で黙っていれば、わけのわからない会話はいずれ過ぎていく。

それに比べると、家で、姉さんに着替えを手伝ってもらって布団に潜り込み、隣に母さんが添い寝してくれて、「おやすみなさい。よく眠ってね。」と頭をずっとなでてもらえるあの安心感は、他にたとえようもないものだった。
それは、僕が病気の日でも、元気な日でも、怒って拗ねていても、叱られた後でも変わらなかった。
母さんや姉さんが僕を拒絶する可能性など、1ミクロンも考えたことがないほど、完璧に安心な場だった。

「和尚さん!」
僕は仕事を忘れカウンターから出て、和尚さんの後ろに近づいた。
「こちらへお座り。今夜はもうほかの客が来なくてもよいだろう?」
「あの…。」
僕は会釈して、和尚さんが指した椅子に座ると、和尚さんに聞いてもらいたくて、乗り出すように語った。

「僕の安心は、小さい頃に家族から教わった気がします。
子どもの頃は、家族といれば安心で、家族と離れると不安で…。
でも、いつの間にか僕は、家族と離れている時間でも、一緒にいるときと同じ安心を持ち歩けるようになった気がするんです。
不安なことがあっても、いつかは通り過ぎることが分かっているし。」

「でかした!」
高齢の和尚さんが思わぬ大声を出したので、僕らはビックリしてしまった。
「そうなのじゃ。そうなのじゃ。
安心は、条件でできるものではない。
最初に受け取って、気付いて、気付くといつも身に沿うものなのだなぁ。
そうして、安心の目からみれば、困ったことも流れて消えていく、泡のように見えるものなのだよ!
それこそが、悟りなのだなぁ。」
「ええっ?!」
今度は僕だけがビックリした。ほかの人はポカンとしている。
「僕が悟ったと?」

「考えてもごらん。
空は、己が消えてなくなるかどうか、悩むだろうか。
全てがおのが内にあるというのに、何が増え、何が減った、何が奪われたと悩むだろうか。
空から見れば、朝も夜も同時に起きている。
夕焼けも台風も、全て移り行くさざ波のようなもので、全てがそこにあることに変わりない。
われらは、自分をそのようなものだと知ることで、安心できるのではないかなぁ。
どのような辛い日も、刻々と過ぎてゆく。
どのような楽しみも、刻々と過ぎてゆく。
その辛さや楽しみにのみ心奪われてしまってはならぬ。
空の視点に立つのじゃよ。
空の視点に立てば、実は目の前にあること以外にも、多くのものがあるとわかる。」

僕らはそれぞれの思いで和尚さんの言葉に聴き入った。

「波立つ心を無理に抑えて、平常心を保とうなどと思う必要はない。
波立つ心はいずれ収まる。それが波の本性だからだ。
憎しみも妬みも、汚い思いと自責の念に駆られる必要もない。
憎しみや妬みを抱え続ける如く、執着するのは空の本質ではない。
憎み妬む自分をあるがままに見つめていれば、それらの思いもいずれは消える。
移り行くのが思いの本性だからだ。
したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。
我らは、そのようなものだと、思うがよい。」


したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。

和尚さんのこの言葉が、僕の心にこだました。
そうか。
僕は、社会的な評価の高い生き方はしてこなかった。
体も弱いし、気も弱い。
でも、したくないことを無理にする人生は歩んでいない。
ふと出会った血のつながらない人と家族のように仲良く暮らしている。
こんな不可思議な人生と思わぬではなかったけれど、思えば姉さんも同じようなものだ。
だとしたら、僕と姉さんの心の中に、何物にも代えがたい「安心」という財産を遺してくれた母さんがいてくれたからだと、今さらながら深く理解した。
母さんは、お金も土地も持っていなかったし、苦労のし続けで長生きもしてくれなかったけれど、誰にも盗めず、燃やせもしない、ものすごい財産を溢れるほどに遺してくれたんだな。
この財産が、僕を幸せにしてくれているんだな。
母さん、すげえ!
あなたは、ほんとにすごい人だ!

「母さん…ありがとう。」


僕はこの夜聴いた和尚さんの「空の話」を、一生忘れまいと心に刻むことにした。





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