姉さんが結婚するという相手、カネタマルジョージさんは、金田丸譲二さんと書くのだそうだ。
きっと、小さいころから「金持ちになりそうな名前だ」と言われてきたに違いない。
姉さんたちは観光としてやってきたマルコ少年を一度グアテマラに連れ帰らねばならないらしい。
「養子縁組は6歳の誕生日を過ぎると、日本の法律ではいろいろとややこしくなるの。あと半年の勝負なのよ。」
なのだそうだ。 

結婚は、その進展に合わせてという。
これから池袋にある金田丸家にご挨拶に行くのと言う姉さんは、 相変わらず小さな台風の目だ。
「サトル、認めてくれてありがと。」
「いや、あの…。」
「じゃ、行ってくるわね。また連絡するから。」
「あ、おお。」
「葉月ちゃん、ランチは?」
と問いかけるオーナーにごめんなさいまた今度とサラリと言うと、3人は席を立ち、僕に盛大に手を振って行ってしまった。
約束の時間が迫っているのだそうだ。

台風が去った僕のテーブルに、オーナーがルナソル特製ワンプレートランチを運んでくれた。
大きな丸い皿の上に、つややかな黄色い小山が乗っていて、頂上に美味そうなデミグラスソースがかかっている。
ソースの中に浮いているマッシュルームがきれいだと思った。
「あれ?貴船さん、僕、ランチの注文なんてしましたっけ?」
「ああ、やっと口をきいてくれたね。」
「え?」
「君、お姉さんがいる間、ずっとあーとかうーとかばっかりだったじゃないか!」
「だって…。」
「ま、わかるけどね。」
「すいません。」
「謝ることはないさ。
さ、食べて。
今日のランチはオムレツなんだ。
ワンプレートと決めているけど、今日は見た目の問題で、サラダとスープは別にね。」

僕はオムレツが好きだ。
このトロトロとした舌触りがたまらない。
柄の長いスプーンを持って、一口食べてみた。
「ああ、美味いなぁ。」
オーナーはいつの間にか、さっきまで姉さんが座っていた席に腰かけて、水を飲みながら僕を見つめている。
「お気に召しましたか。」
冗談口調に僕も気持ちが少し軽くなる。

「サトル君。」
オーナーが改まった声を出した。
「はい。」
僕はオムレツを頬張る速度をゆるめずに返事をする。
「君はお姉さんを一言も責めなかったね。」
「責める?」
僕にはオーナーの意図が分からない。

「僕は内心驚いた。
だって、葉月ちゃんは病気と闘う君のそばにいるのが辛くて逃げ出したんだろう?
それで家族と言えるか?
君はどうして怒らないのかと思ってね。」

オーナーの口調には、姉さんを責めるような感じは含まれていない。
心底分からない、といった気持ちなのだろう。
僕にしても、頭で考えて姉さんを責めないと決めたわけではなかった。
ただ、最初から最後まで、驚きはしたけれど、責めるなどとは考えもしなかった。

「それは…。」
僕は自分の本音を探り始めた。
子どもの頃、テレビで観た映画のワンシーンがふとよぎる。
海の底に向かって、素潜りでくぐっていく男が映っていた。
あの、青くて暗い方へ向かう感じ。

「それは…、姉さんがあの時も今も、自分に正直に生きているんだと分かったからかなぁ。」
「正直に?」
「そうですね。
もし、姉さんが心底僕のそばにいたいと思うなら、それでよかったですよ。
でも、僕のそばにいるのが辛いと思いながら、家族だからという義務感で我慢していてくれたとしたら、それはきっと僕にも伝わって、僕も苦しんだと思うんです。」
「ああ。」
「死んでもしかたないと腹をくくられながら、覚悟を決めた顔でそばにいられるのも辛かったかもしれないし。」
「そうだろうか。」
「でも、姉さんは、建前や義務感より、自分に正直にいることを選んでくれたんです。
おかげで、ああして幸せな顔を見せてくれている。
突拍子もないのは相変わらずだけど、義務感に縛られて、密かにため息つきながら『あなたのために』なんて言われるより、僕にはずっとありがたいです。」

オーナーはまた一口、水を含んでから、静かに微笑んだ。
「いい、姉弟だね。」
「ありがとうございます。」
「君たちのお母さんは、素晴らしい子育てをなさったようだ。」
「どうなんでしょうね。
でも、確かに、母さんも母親だから僕らを育ててたという印象より、本当に僕らといることが楽しかったのだろうなぁという思い出の方が多いかな。」
「そうなのか。見習いたいものだな。」
「え?」
「いやね、僕ももうすぐ父親になるらしいからね。」
「へ?そうなんですか?」
「ハハハ!」

僕はもう、これ以上の非日常に耐えられそうになかった。
だから、確実に理解できる、オムレツの味に没頭することにした。
「このデミグラスソース、本当に美味いですね。」
「おいおい、こういう時は『おめでとうございます』って言うんもんじゃないのかい?」
「ああ、美味い。本当に美味い。」
「おやおや、キャパを超えたらしい。」

オーナーは自分のグラスを片手に、カウンターの奥へ戻っていく。
背中を見送ることもなく、僕はスープとサラダもカケラひとつ残すまいと、念を入れて皿をつつき続けた。






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