スッキリしない発熱がようやく消えるのに1週間かかった。
「飲みに来たついでだよ。」と言いながら往診してくれる宮田先生の言葉で、僕はこの1週間を案外心穏やかに過ごすことができた。
「穂高くんの体は弱いのではなくて、勇敢なんだよ。」
「勇敢って、いさましいとか、そういう勇敢ですか?」
「そうそう。」
「そんなこと、言われたのは初めてですよ。」
先生が言うには、こういうことだ。
場所にはどこでも、そこ特有のものがある。
常在菌、なんていうそうだ。
大概の人は、それがもともと持っているものと多少違っても、平然と受け入れられる。
でも、僕の体は頑固で妥協がないらしく、「お前、違うだろ!」とすぐに戦いを挑むのだそうだ。
それで、熱が出る。
ひとしきり戦って、「しょーがない、大して害はなさそうだから共存してやるか」となれば落ち着く。
外敵を許さない勇士がたくさん住んでいる体だと思えばいいというのだ。
そんな風に表現すると、ちょっと笑える話だ。
勇士というより、好戦的な短気者としか思えないではないか。
「それでも、ひどい目にあっているのに鈍感な人もいるからね。いいじゃないか。」
なんて言ってもらえると、そうだなぁという気がしてきた。
物事はとらえようだ。
僕は小紫に来てから、そんなことをずっと重ねて学んでいる気がする。
その二人連れがやってきたのは、僕が小紫のカウンターに復帰して数日たったころだった。
2月の声も聞こえそうな夜はヒリヒリと寒さが積もり、開店の準備を終えて扉を開け、外の様子を覗くと、息が真っ白に煙った。
こんな夜は客も少ない。
しばらく誰も来ないまま時が過ぎ、やっと入ってきた5人は大学生のようだ。
女の子が3人、男が2人。
むくむくと重ね着をして、毛糸の帽子をかぶってなだれこんできたかと思うと、じろじろと店内を見回している。
「あのー、あたしたち、地元の隠れた名店を探すサークルなんです。」
その中の一人が面白いことを言いだした。
「あら、名店だなんて光栄だわ。」
ゆかりさんが対応に出る。
「駅前で聞き込み調査をしたら、ごはんがとっても美味しいバーがあるって。」
「それに、空気がきれいで、心が落ち着いて、気分がよくなるとも聞きました!」
「あの、僕、酒は飲めない性質なんですけど、そういう人も来ていいんですか?」
と尋ねた男の言葉には、どこか東北をにおわせるイントネーションが混ざっている。
「もちろんですよ。では、何か召し上がりますか?」
わぁっと歓声をあげて、彼らは注文を選び始める。
まるで学食のようだ。
学生の懐具合というものを、ゆかりさんはよく理解しているようだ。
お手頃価格のものをいくつか選び、バラエティー豊かに見えるようにしてテーブルを埋めた。
アルコールを頼んだ者がいなかったのも面白い。
「これ、すっごく美味しいです!色味が美しい!」
「うわぁ!これ、本当に麻婆豆腐ですか?豆腐がまるでクリームチーズみたい!」
口々に、食レポ顔負けのコメントを連発しながら喜んでいる。
それを眺めてさらに嬉しそうなのがゆかりさんだ。
5人組の話が弾んで、いつの間にか日常の世間話になっている。
10号館の裏のベンチであの二人…とか、南のカフェテラスのキャラメルラテが…とかいうのを聞いていて、なぜかカラー映像が浮かぶことに気付いた僕は、彼らがどうやら僕の後輩らしいことに思い至った。
そうか、学部生ってこんなにかわいらしかったか。
毎日がキラキラしているんだろうな。
悩んだり、怒ったり泣いたり、無駄にガマンしたり。
いろいろあっても、輝いているんだよ、君たち。
なんて思う自分は、いつの間に老け込んだんだ?僕だってまだ20代だ!
ひとりツッコミをしているときに、カウベルが鳴った。
この二人連れは、きちんとスーツを着た大人だ。
50代、だろうか。
初めてのお客様だ。
後ろでキャンキャンしている大学生に比べると、ずしりと人生の重みを感じる。
「いらっしゃいませ。どうぞお好きなお席へ。」
僕が言うと、ふたりは目を見かわして、言葉はないままにカウンターへ並んで腰かけた。
質の良いカシミヤのマフラーをしている。
きっと、いい会社に勤めているのだろう。
「美味しかったなぁ。」
「絶対またすぐ食べたくなりそう!」
「友達誘ってきてもいいですか?」
大学生たちはもう席を立ちあがったようだ。
「もちろん。お待ちしていますよ。」
うちは定食屋じゃないんだぞと言ってやってもいいのに…。
中にはゆかりさんに握手をねだっている女の子までいる。
それほど美味かったか。
きっと君も、ろくなもの食べてないな!
騒々しい集団がドアの外へ消えると、店内は一気に静まり、BGMのスロージャズがやっと聞こえるようになった。
二人連れは、それぞれに水割りを頼み、黙ってグラスを傾け始める。
並んできた割には無口だ。
同じくらいの年齢に見えるが、片方はずいぶん白髪が目立ち、片方は真っ黒だ。
それ以外に違いというと…
「穂高、また悪い癖。」
ゆかりさんにそっとたしなめられて、僕は視線を逸らす。
お客様をじろじろと観察するのはひどく失礼なことだと何度も言われながら、ぼくはこの癖がなくならない。
特にご注文もご要望もないので、ぼくらは少し下がって控えている。
先ほどの学生たちがたくさん皿を使ったから、奥に入って洗い物をしてもいいのだが、皿がぶつかる音など、このお客様方に聞かせなくてもいい。
小紫の皿が足りなくなることもないし。
「大学生だったな。」
「…さっき、出ていった客か?」
「うん。」
「そうだろうな。無邪気なもんだ。」
「多少、懐かしくもあるな。」
「そうか?」
会話は、そこで途切れる。
以前からの友達なのだろうが、久しぶりの再会ではなさそうだ。
もしそうなら、近況はどうかとか、あの頃はどうだったとか、そんな話になるものだ。
すでにその部分を他の店で済ませてきたのだろうか。
つまみを頼もうとしないから、食事をしっかりしてきた可能性は高いよな。
なんだか、探偵気分だ。
「こらってば。」
またゆかりさんに小突かれた。
僕は慌てて布巾をもち、そこらへんを拭き始めた。
「で、何か話か?」
「なんで。」
「いや、一緒に接待に出るのは珍しくないけど、帰りにもう一軒なんて、10年以上はなかった気がするからさ。」
「そうか。」
「で?大学時代の思い出話をしたくなったわけでもあるまい。」
「まあな。」
「何か、あったか?」
「ああ…。実はな…。」
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コメント
コメント一覧 (4)
そして、料理がおいしいなんて・・・
私は、Barというと、簡単なつまみしかでないところと、
思っておりました。(笑)
お酒はほとんど飲みませんが、こういう雰囲気の店で働きたいという夢が昔からあります。
20代のころ、連れて行ってもらったバーでは、ポッキーがつまみに。
おいっと思った記憶があります。
普通だったらバーには来ません。
これも、ゆかりさんの人徳でしょう。
ところで、体調不良が長引いているご様子……。
日頃頑張っている人は、たとえ休職しても、残った人が必死でカバーするものですよ。
Hikariさんが元気になることが、最優先だと思います。
お花見は楽しみましょうね♪
温かいお言葉、ありがとうございます。
年度末のこの時期がまた、最悪ですね。
でも、周囲のみなさん、本当に優しく、いろいろ仕事を肩代わりしてくれています。
本当に助かります。
吐き気が止まらないのが何より辛いです。
こんな体調でも、美味しいものや満開の桜が楽しみです。