僕が東京へ向かったのは、寒い朝だった。
姉さんは前の週から北海道へ研修に行って留守だった。
僕の旅立ちを見送る気など、さらさらなかったらしい。
「東京へ行くっていっても、こことは陸続きだし、いつでも帰ってくるでしょ?」
「そうだね。」
「じゃ、あたしはあたしで。
オーナーの知り合いで、面白い野菜作りをしている人が北海道にいるの。
寒さにも虫にも強い種の開発を…。」
姉さんは楽しげに語ると、スポーツバッグがパンパンになるまで着替えを詰め込んででかけていった。
「いつ帰ってくるの?」
「決めてない。ひと段落ついたらね。」
「そうか。風邪ひくなよ。北海道は湯上りに裸でいると凍るぞ。」
「うるさいわねぇ。」
それから 数日、僕は母さんと二人で過ごした。
二人とも口には出さなかったけれど、姉さんがいない家はなんだか間が抜けていて、彼女がこの家の明かりであることがしみじみ思われた。
久しぶりに仕事の後で料理をしなければならなくなった母さんだけど、すでに卒業式を終えていて、家でゴロゴロしているだけの僕にやっておけとは言わなかった。
今夜のご飯を食べながら「明日の晩は何がいい?なんでも作るよ」なんて話をするのは、ちょっと可笑しかった。
僕は、遠慮なしに思いついたことを口に出した。
母さんは、うんうんと頷いてくれる。
僕が高校で部活動に入らなかったのは、家族3人で晩飯を食うという我が家の掟を破りたくなかったからだ。
その掟以上に魅力的な部活はなかったし、もともとさほど丈夫な体でもなかったから、授業を終えたらのそりと家に帰って丁度いいくらいだった。
男子高校生の生活としては気持ち悪いと言われそうだが、僕は家族があれば他に必要なものはないような気がしていた。
もちろん、友達もいたし、気になる女の子もいるにはいた。
けれど、どういうわけか、執着するほどの気持ちにならなかった。
そこがサラリとしていて「いい人」だと、不特定多数の女子に好評だったりして…。
実はマザコン・シスコンと知れたら、何を言われていたことか。
僕がいよいよ東京に発つという前の晩、布団を並べて寝ながら、母さんがおかしなことを言いだした。
「ね、ほんとに明日行かないといけないの?」
「え?何か都合悪いことある?」
「いえね、そういうわけではないけれど、入学式はまだ先なんだから、前の日に一緒に行ってもいいのかなと思って。」
「でも、部屋は借りたけど、まだ何もないからね。
時間があるうちに準備したいだろ?」
「そうかぁ。そうだよねぇ。」
「あれ?もしかして、寂しがってる?」
「そーゆーわけじゃないけど、葉月もいつ帰ってくるかわからないし…。」
葉月というのは姉さんのことだ。
「よく考えてみたら、あたしってひとりでいたことがないのよね。いつもお前たちがいてくれたから…。」
「子供のころからそうなの?」
という僕の問いには、いつものように答えず、ぼそりと、しかたがないよねぇとつぶやいた。
朝になると、前夜の話などなかったかのように、母さんは明るく振舞って、僕に腹いっぱい以上に朝飯を食わせてくれた。
この朝のメニューは、リクエストしておいた稲荷寿司とあおさの味噌汁だ。
母さんの稲荷寿司は本当にうまい。
3種類ある。
ひとつは、すし飯に炒った白ごまと刻みショウガと一緒に混ぜたもの。
もうひとつは、紅ショウガを細かく刻んで混ぜたもの。
最後は、すし飯だけで、混ぜ物がないもの。
煮しめた油揚げにご飯を詰めて半分に切って並べると、紅白に見えてなんともめでたいのだ。
母さんはこの手間のかかる朝飯のために、ずいぶん早起きしたらしい。
あの時の味は、今でもすぐに思い出せる。
本当に、本当にうまかった。
やたらとたくさん作ったと思ったら、弁当に持っていけと、使い捨てられる容器に、残った稲荷寿司を綺麗に並べてくれた。
それから、買って隠してあったらしいアイロンと炊飯器を持ち出してきた。
「これも、持っていきなさいね。」
「重いよ。」
「でも、すぐ使うでしょうから。」
「送ってくれたらいいのに。」
「だってほら、送料ってバカにならないでしょ?」
実は母さんはこれを持って、僕についてくる気でいたのかもしれないと思いながら、ありがとうと受け取った。
「今日、一緒に来る?」
「何言っているの。無理よ、仕事休むって言ってないし。」
母さんは、近所の部品工場で事務をしている。
社員は全部で80人くらいというから、小さい工場ではない。
けれど、事務員は少なくて、母さんは会計を一手にやっているらしかった。
だから、僕が熱を出して休んだ日も、落ち着けば1時間、2時間でも仕事に行っていた。
「だって、すぐに伝票が山になるのよ。それにねぇ…。」
母さんはいつも言うのだ。
「必要とされるって、本当にありがたいことよ。
私みたいな取り柄のない人間でも、いてくれないと困るって言われるの。
毎月ちゃんとお給料をいただけるから、あんたたちともこうして普通に暮らせるんだもの、ありがたいとしか言いようがないわ。
毎日行く場所があって、必要としてくれる人がいて、家にはこんないに可愛い子どもたちが待っていてくれて。
これ以上ないくらい幸せな人生だわ。」
そういえば、母さんが給料のことで嘆いているのを聞いたことがなかった。
やりくりしなければやっていけないほどの薄給であることは明々白々だったけど、会社の悪口を言うのを聞いたこともない。
だから、こんな時でも会社を大切に思うのは、母さんらしくて当たり前に感じた。
本当はもう少しゆっくりしてから家を出ても十分間に合うのだけど、僕は予定より2時間も早く家を出ることにした。
そのまま母さんと過ごしていたら、東京へ行きたくなくなるような気がしたからだ。
まだ一歩も家を出ていないのに、向こうについたら大急ぎで家財道具をそろえて、入学式前にいったんこっちへ帰ってこようかと考えている自分がいた。
「入学式には行くからね。あんたの晴れ姿、見たいもんね。」
「晴れ姿って、成人式とか結婚式とかに使う言葉じゃねーの?」
「いいのいいの。大学の門の前で一緒に記念撮影しようね。」
「そんな、小学生じゃあるまいし。」
「心配なわけじゃないけど、着いたら電話してよ。」
「わかったよ。じゃあね!」
「いってらっしゃい!」
外へ出ると、いつもよりずっと寒くて、首筋が一気に凍る気がした。
まだ玄関から外に出て手を振っている母さんに、寒いから早く入れと叫んで背を向けた。
まさか、この「いってらっしゃい」が、僕が聞いた母さんの最後の言葉になるなんて、思いもしなかった。
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コメント
コメント一覧 (2)
きっと、Hikariさんちでは稼働率が高いのでしょうね。
うちでは埃をかぶっています(笑)
炊飯器は絶対必要!
この時代には、キャリーがなかったんだろうなぁ……。
お姉さんが手にしたものはスポーツバッグですもの。
昭和13年生まれの父は、柳行李を持って上京したそうです。
時代を映していますね。
質の良いワイシャツを買えれば、アイロンの出番は減らせるのだと思います。
安物の連続使用では必需品です。
アイロンは幼いころから私の仕事でした。
ちなみに私の父も13年生まれです。
思わぬ符合にびっくり!