「ルー、どうした?」
正樹が声をかけてきた。
俺が黙ってケータイの画面を見つめていたからだ。
部活後のマクドナルドは、俺たち高校生の憩いの場だ。
どうでもいい話をくっちゃべって、さあて帰るかと思った時に着信した。

「いや、意味の分からないメールなもんで。」
「誰から?」
「母ちゃんから。」
「へ?おまえんちの母ちゃん、ケータイなんか持ってたっけ?」
「買ったんだよ、先週。このスマホの時代に、やっとカンタンケータイ。」
「へー。」

正樹にケータイの画面を向けて見せた。
「どれ?ん?なんだこりゃ。」
画面には、呪文のようなひらがなが並んでいる。

こはんてきたはよけれ

やたらと文字がでかい。
なにしろ、年取ってから俺を生んだだけあって、母ちゃんはすでに老眼なのだ。
こんな設定ができたのか。意外だ。
それはそうと、何が言いたいのだろう。

「わかった!」
しばらくケータイを見つめた正樹が、目を輝かせて笑っている。
「おばさん、濁点の打ち方知らないんじゃないの?」
「かもしれない。」
「これ、『ごはんできた』だよ、きっと!」
「あー。なるほど。じゃ、『はよけれ』は?」
「ま、たぶん、『はよかえれ』とか打とうとして、カ行をエ段まで送っちゃったんだろうね。」
「あーー。そういうことか。」
「ちゃんと濁点の使い方と、スペースの入れ方、教えてやれよ。」
「教えたよ、何度も!漢字変換だって教えたんだよぉ。」

この3日ほど、うるさくせがまれて、メールの打ち方を何時間も教えた。
母ちゃんは、俺と一緒の時はなんとかなるのだが、「大丈夫やで、もう」と言う割には、翌日、授業中に平気で電話をかけてきた。
しかも、何度も!
何かあったのかと、休み時間にかけなおしたら「メール送っただけや」ときた。
メール、来てないって。

「もう帰る」と速攻返信したら、間もなく返事が戻ってきた。

わかつたきおつけれ

「っ」の使い方も教えなきゃ。
でも、「気を付けて」が正しいというところは、今更俺が教えることだろうか?

「おまえんちの母ちゃん、ホント面白いよなぁ。」
正樹は思い出し笑いが止まらなくなっている。
「うるさいよ。人んちの母ちゃんで笑うな。」
「コテコテの関西人だもんな。」
「まったく、もう東京で暮らしている年数の方が長いっていうのに、いまだに関西人抜けないんだ。つーか、関西人にしがみついてる!」
「あの、ヒョウ柄、東京で手に入るところがあるとは驚きだ。もしかして、通販か?」
「通販なんてオシャレなこと、できるわけないだろ?あれは里帰りしたときに、本場でまとめ買いしてくるんだ。荷物持たされる俺の身になってほしいよ。」

母ちゃんは機械音痴で、ケータイが無理なくらいだから、パソコンなんてとんでもない。
それでも通販は、電話でもできる。
母ちゃんは新しもの好きでもあるので、一度は試してみた。
あの、甲高い声で有名な社長がやってるやつ。
「ゲンリッチ」とかいう、お肌がプルプルになるという触れ込みの、オールインワンジェルだ。
「うそやろ?あのオバハンに効くんなら、ワタシが使こたら綾瀬はるかになってまうがな!」
「アホ!元々の造作が全く違うっつーの!」
「そうか?」
そうか?って、あんた、鏡持ってんのか??

ちなみに、母ちゃんのせいで、おれは標準語と関西弁のバイリンガルだ。
友達の前で関西弁を使うような無神経なことはしないし、母ちゃんに標準語で話しかけるような情のないことはしない。

それはさておき、あの時、せっかく電話したのに、ゲンリッチは母ちゃんの元には届かなかった。
「かわいそうな姉ちゃんでねぇ。」
は?
どうやら、注文の電話に出たお姉さんの人生相談に乗ろうとしたらしい。
声が湿っぽかったから、何か悩み事があるはずだ、おばちゃんが聞いたげると言ったのに、遠慮して何も言わん、東京者は人を信用せんから…
いやいや、母ちゃん。
電話交換手というのは、甲高い声出すと人の癇に障るから、わざと湿っぽい声から始めるねんて、と教えてやったが、後の祭り。
それに、あの通販会社のコールセンターは、大分だか熊本だか忘れたが、とにかく九州にあるはずだ!
湿っぽい声のお姉さんは、東京モンではなくてくまモンかもしれないのだ。
注文をすっかり忘れて電話を切ったのだから、母ちゃんを綾瀬はるかにしてくれる魔法のジェルは、いくら待っても届かないのだ。

「俺さぁ、おばさんのヒョウ柄も好きだけど、家にいるときの恰好が一番好きだよ。」
なーにが好きなものか!
「その話はやめてくれ。」
「あれ、今も着てるのか?」
…………着てる。
「うっほー!」

正樹が腹を抱えて爆笑している。
仕方ない。
母ちゃんの家着は、なんと俺の中学ジャージと体操着なのだ!
胸に中学の校章が印字されていて、四角の中にマジックで苗字を書いた、あの白い体操着を…今では少し黄ばんでいるあの体操着を、後生大事に着ているのだ。

何度やめてくれと言っても、母ちゃんはあのジャージを捨てない。
丈夫だし、汗をよく吸うし、サイズはぴったりだし、高かったし。
母ちゃんの根拠は岩のようにガッチリしていて、崩しようがない。
「お前、高校卒業したら、部活ジャージをプレゼントしてやれよ。」
「やだよぉ。」
「いや、あれよりは見られるって。」
そういう問題だろうか?

じゃあなと、正樹と別れた。
電車に乗るのはたった3駅。
降りて歩いていると、また母ちゃんからメールが来た。

カツアゲたはやくきて

カツアゲ!
俺は焦った。
家にいたんじゃないのかよ!
助けを求めるような状況なんて!

走り出したところで、急ブレーキをかける。
待てよ。
濁点が打てない母ちゃんのメールが、『カツアゲ』と濁点を使ってる。
わかったぞ。
トンカツ揚げたってことだな!
かつって打ったら、カツアゲが勝手に出てきたので利用したんだろう。
ほら、「た」だけひらがなになってるもんね。
俺は一瞬力んだ分、脱力してしまった。

ったく、なんて母ちゃんだ。
トンカツは俺の大好物だ。
だから、知らせたかったんだろう。
早く帰ってきてほしいんだ。

どんなに機械音痴でも、クルクルパーマで俺の中学ジャージを着ていても、俺は母ちゃんが大好きなんだ。
ま、図に乗るから、絶対に言ってやらないけどね。

俺は急ぎ足で家に向かった。







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