「ルー、どうした?」
と聞こえた。

背後から、突然だった。
最悪の事態として予期していたのに、息が止まるほど驚いた。
俺は慌てて、シングルベッドが二つ並んでいる奥の、壁とベッドの間のわずかな隙間に体を滑り込ませた。

「ん?」
「ルームキー、どうした?ちゃんとかけたか?」
「当たり前だろ。ほら、ここに置くぞ。」
「じゃ、これ。」
「よっしゃ。一息だ。」
「乾杯。」
「乾杯!」

声を押し殺した会話だった。
発泡系の飲み物のプルトップを開けたとき特有のプシュッという小気味よい音の後、中が詰まった缶同士をコツンとぶつける音がし、続け様に喉を鳴らしてゴクリゴクリと飲み干す音が聞こえた。
突然入ってきた二人の男は、声からして、体育の吉田と小茂田に違いない。

しまった、この部屋は保健室の桜田先生の部屋だと思ったのに、違ったのか!
俺としたことが、確認が甘かった。
よりにもよって、体育の口うるさいジジイたちの部屋とは!
特にアメフトの小茂田は、何かと言うと口より先に手が出る。
あいつ、頭が悪いから、口で説明できない分を腕力で補おうとするのだ。

「プハー、うまい。」
「やっと人心地ついた。」
「いくら修学旅行の引率だからって、沖縄に来てビール1杯飲むなとは、ふざけるなってことだよな。」
「まったくだ。昔はよかったよなぁ。」
「もう20年以上も前になるのか。あの頃は公明正大に飲めたもんだ。」
「ああ。旅行業者がビールをケースで差し入れてくれたりしてなぁ。」
「夜の打合せには、つまみもドドンと並んで。」
「乾杯の後で、今日の報告だの、明日の相談だのしたもんだ。」

ジジイたちは缶ビールをこそこそ飲みながら、昔を懐かしんでいるらしい。
そんな時代があったとは信じられない。
が、俺が生まれる前の話だ。
引率と言えば、24時間勤務中だろう。
酒を飲んではいけないくらい、当然じゃないか。
酔っぱらって仕事していたほうがおかしい。

「あの頃は、生徒の質もよかった。」
「そうそう。話が通じたよな。」
「説明しなくても、『先生たちはもうすぐ宴会だから、部屋の移動はその時だ』とか言ってなぁ。」
「俺たちも、やつらがハメを外しすぎないのはわかっていたから、打合せの1時間くらい、思い出づくりをさせてやってもいいかと思ったもんだ。」
「打合せが終わるころに、若いやつを廊下に出して、うまく『もう終わるぞ』と匂わせてやったりして。」
「それから、部屋の確認に行ったな。」
「ああ。あっちこっちで遊んでるやつらを引っ張り出して、大げさに『廊下に正座!明日の自由行動禁止!』とか言ってなぁ。」
「あはは。それもいい思い出だって、こないだの同窓会の時も言われたよ。」
「こっそり酒飲んでたヤツも、俺たちが気づいてないと思っていてね。」
「あれ、分かっちまうものだんだよなぁ。」
「あははは。知らぬは生徒ばかりなりってことだ。」

俺には意味が分からない。
わざと部屋を入れ替わらせてやるだと?
酒を飲んでいた生徒を見逃したってことか?
それを職務怠慢と呼ばずに、何と言うのか!
そんなやつが教師をしているから、日本の教育はダメになったのだ。

「今はダメだな。」
「ああ。ダメだ。生徒の質が落ちたな。」
「俺もそう思う。今しか考えない。自分のことしか見えない。」
「悪さをしたかったら周囲をよく見ればいいものを、教師が堂々と見回っている時間に、平然と部屋でたばこを吸っていたり。」
「酒を入れたカバンを入口近くに片付けもせず放り出しておいて、口が開きっぱなしだったり。」

「自分の部屋に女子を呼び込んで、とたんにヤりだすんだから、見逃すどころの話じゃない。」
「男だけじゃない。女の方も平然と同じことするからな。」
「修学旅行で妊娠しました、なんて言われたら…。」
「言われかねないところが恐ろしい。」

「自由時間に女子部屋に潜り込んで、下着泥棒なんて可愛いほうか。」
「いや、バカの一言だな。自分が持ってきたものがなくなったら、騒がれるに決まっているのに。」
「部屋に入ったところで見つかったとかいうのがオチだな。」
「我慢がきかないやつが本当に増えた。」
「どうして世の中、そんなになっちまったかな。」

俺はギクリとした。
が、俺は別に盗もうとしたわけではない。
桜田先生のカバンの中を、ちょっと、見てみたいと思っただけだ。
どんな下着をつけているのか、ちょっと見てみたかっただけだ。
他愛のない好奇心だ。
断じて、盗む気などない!
ゆえに、バカではないのだ。
愛だ、愛!

「ああ、いつまでこの仕事するかなぁ。」
「俺ら、あと5年で定年じゃないか。」
「その5年が、しんどいと思わないか?」
「いつからかなぁ、仕事が面白いと思えなくなった。」
「息苦しんだよ。」
「意味のない書類ばかり増えて、会議も増えて。」
「部活にも出られない。」
「出てもなぁ。面白くもない。」
「こないだの話、したかな?」
「なんだ?」
「どうにも試合に勝てないから、走り込めと言ったんだ。」
「おお。それが?」
「そうしたら、走り込みが辛いと言って、やつら母親を連れてきやがった。」
「母親?!」
「しごきだと!ふざけんな。お前ら、陸上部だろうがっ!」
「つまらん、つまらん。走るのが辛い陸上部なんか辞めちまえ。」

ふと、二人が口を噤んだ。
きっと、この先のことを考え込んでいるのだろう。
どうやら喉を鳴らす音も消えた。
ビールも尽きたに違いない。
早く出て行ってくれないかな。

「そろそろ行くか。見つかったらフショージだからな。」
「まったく、教師だって人間だぞ。2泊3日まるまる勤務なんてあり得るか?休憩時間くらい作れってーの!」
「ルームキー、桜田から預かったんだろ?迷惑かけちゃならんから、うまく返すんだぞ。」
「大丈夫だ。大学の後輩だし。」
「そういうことじゃねーだろ。将来のある若者に迷惑かけるのは先輩のするこっちゃない。」
「分かっている。いくら怪我の応急処置が必要だからって、自分の部屋に鍵もかけずに出かけるとは、あいつもまだ甘い。ま、だから俺が閉めてやるって預かれたんだけどな。」
「経費節減だからって、俺たちが副校長と同室とは!」
「あの石頭がなんで来るんだか!」

そ、そういうことか!
やっぱりここは桜田先生の部屋だったんだ。
このジジイたち、先生の部屋に忍び込んで、こっそり酒飲んでいたんだな!
許せん。
絶対に教育委員会に訴えてやる。
いや、新聞にするか、ネットに流してもいいぞ!
俺は無理な体勢もあって、息が上がるのを止められないほど苦しくなった。

また、二人が静かになった。
俺は、限界に近かった。
気付かれないうちに、さっさと出て行ってくれ!と祈るばかりだ。

「ところで、小茂田。」
「なんだ?改まって。」
「お前、体育館裏の話、知っているか?」
「体育館裏の話?なんだ、呼び出しか?」
「違う。埋蔵金だ。」
「ま、埋蔵金!?」
「しっ!声がでかい。誰に聞かれるか知れない。静かにしろっ。」
「ま、埋蔵金って何だ。」
「いいか、同期で長年しんどい仕事を頑張ってきた者同士と思って、お前にだけ教えるんだぞ、絶対にほかのやつに言うなよ。」
「言わないから、早く教えろ!」
「うちの体育館裏に、小さな祠があるだろ?」
「ああ、あるある。ずいぶん古いらしいな?」
「文化財の指定を受けているから、敷地内でそのままになっているんだが、あの下に、なんと埋蔵金が眠っているんだよ。」
「本当なのか!?」
「ああ、本当だ。校長室に代々伝わっていた古文書が最近解読されて、分かったんだ。」
「そんな話、知らなかったぞ。」
「当たり前だ。こっそり調べたに決まっているだろう。」
「いったい、だれが埋めたんだ?」
「徳川家康。」
「と、徳川埋蔵金ってやつか!!!テレビでいくら探しても出ないやつだろが?」
「そうだ。それが、意外と浅いところに埋まっているらしいんだ。」
「なんでまた?」
「事情はともかく、校長が今度一緒に掘り出そうって、誘ってくれたんだよ。」
「いつ?」
「この修学旅行から帰って、代休明けの火曜日だな。お前も来るか?」
「行く!」
「よし。それを楽しみに、アホくさい修学旅行を乗り切ろう。」
「ほほほっ。いいねぇ。」

ジジイどもがやっと部屋を出ていった。
ガチャッと鍵がかかる音を聞いて、俺は全身から力が抜けてしまった。
それにしても埋蔵金とは。
怪我の功名。いい話を聞いた。
帰ったらすぐに、掘ってみよう。

俺は、なんとか桜田先生の部屋から抜け出した。
周囲によく気を配ったが、うまい具合に誰もいなかった。
勇気を奮って行動したことで、俺の将来に黄金色の光が差してきた。
ジジイどもの飲酒を告発するかどうかは…。
埋蔵金が先だな。

「やっぱり。」
「なんと、先客がいたとはな。よく気付いたな!」
「なんだか、気配がしたんだよ。」
「あれは、2-5の春山徳太郎だな?」
「間違いない。」
「あいつは格別のアホだから、きっと帰った日の夜、シャベル持って埋蔵金を掘り出しに来るぞ。」
「そこを捕まえて、問いただせば、今日のことを告発しようなんて考えは捨てるだろう。」
「それにしても、埋蔵金とは、とっさの嘘とはいえ、よくも思いついたもんだ。」
「ふん、くそ面白くもない。信じるか?普通。俺はうそだと見抜いてくれることを祈るね。そんなアホを毎日教えていると思いたくない。」
「しかし、悪いことはできないもんだ。」
「バレるはずがない缶ビール1本で、ホントにクビが飛ぶとこだったよ。」
「くわばら、くわばら。」






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