「ルー、どうした?」
「今日も空が青いなぁと思ってさ。でも、あの辛気臭い歌は歌うなよ。」
「なんだ、今日は朝のお勤めの代わりに発声練習してきたのに。」 
「ほんとか?」
「アホンダラ。うそに決まっとろうが!」

ミノは今日も野球のユニフォームでやってきた。
ということは日曜日だ。
先月、加納伝五郎という、時代劇に出てくる側用人か浪人みたいな名前のパワフルな加入者を得て、こいつのチームは破竹の勢いなのだそうだ。

怪我人の心理とは微妙なものだ。
人の幸福を呪うつもりなど毛頭ないのだが、やたらと健康で元気な人間を見ていると、どうしようもなく不愉快な気分になってくるのだ。
しかも、元気な幼馴染の坊主だから、なおさら憎い。
昨日の土曜日は、親と離れて暮らす施設の子供たちを、シロイルカのショーが有名な水族館に連れて行くボランティアにでかけるのだとか言って、ずいぶん早い時間に帰って行った。
まったく、心も体も健康なところを見せ付けられた気がして、帰っていく後ろ姿に「コケちまえ!」とつぶやいたものだ。

「まだ痛むのか?」
「まあな。」
「ついてなかったな。もうすぐリハビリを始められるという時になって、コケて同じところを骨折するとは。」
「もういい。」
「でも、トイレでよかったよ。階段だったら大変な事故になっていたところだ。」
「どうしても、トイレで用をたしたかったんだよ。毎回看護師呼んで、女性がいるところでしか用が足せないなんて、耐えられなかったんだ!」
「だよな。わかるよ。だから、ついてなかっただけだ。骨の方は一度ついてたわけだから、またくっつくさ。あはは!」
「お前、人の骨だと思って粘土細工みたいな言い方するな。」

こいつはどこまで暇なのだろう。
毎日毎日やってきては、この調子で、おちゃらけたことを言って帰っていく。
最初は鬱陶しいと思ったが、口とは裏腹で、実はけっこうありがたい。
バイクの事故で入院した最初のころは、親も同僚も見舞いに来てくれたが、2か月にもなると足は遠のいていく。
親はたまに来るが、洗濯ものだのなんだのをどうにかすると、さっさと帰っていく。
トイレで滑って転んでまた骨を折ったときは、両親そろって枕もとで爆笑していた。
退屈だからもっと会いに来てくれなんて、いう相手ではないのだ。
だから、ミノが毎日顔を出してくれ、他愛のない軽口を言い合うのは最大の気晴らしなのだ。

さっき青空を見上げていたのは、こいつの今日の試合はどうだったろうかと考えていたからだ。
退院したら、礼の代わりに一度応援に行ってやろうか。
で、話題の伝五郎さんの肉体美を拝んでみるのも面白い。
「で、どうだった?」
いつもはこいつが勝手に話し出す野球のことを、今日は俺から聞いてやろう。

「それがさ。ひどいもんでなぁ。」
「え?絶好調じゃなかったのか?」
「いやいや。期待外れだったよ。」

どうしたというのだろうか。
「怪我か?」
「いや、理由はわからない。でも、まず、主役が出てきやしないんだ。」
「主役が?」
今、こいつのチームの主役は、間違いなく伝五郎さんだ。
「奥さんの具合が悪いんじゃないのか?」
「奥さん?そんな詳しいことはわからないが、自分のところに閉じこもって、出てこないんだ。」
「そりゃ、重症だな。」
俺は、まだ会ったことがない伝五郎さんのことが心配になった。

「でも、ほかにもいるだろ?」
「ああ。でも、ほかもバタバタで、見られたもんじゃなかったんだ。」
「バタバタ?」
「ああ。段取りは悪いし、チグハグだし。」
「段取り?段取りって、いつもやってることだろ?」
「そりゃ、練習に練習を重ねているんだろうけど、生き物だからなぁ。」
「生き物って言うな。」
「当然ジャンプのところで、そのまま通り過ぎられたら、見てる方はシラけるぞ〜。」
どうやら、守備に問題があったらしい。

「それに、みんな声の出し方もおざなりだったんだよなぁ。」
「ああ、それはよくないね。声は大事だ。」
「だろ?めったに聞けないから、こっちは楽しみにしてたのに。」
「めったに聞けないのか?」
「そりゃそうだ。」
「へー。」
こいつのチームは、こいつに似ず、よほど暗いのだろうか。
無言で野球やって何が面白いのだろう?

「挙句には、みんなで踊りだしてお茶を濁す始末だ。」
「踊りだす?」
「ほかに時間のつぶしようがなくなったって感じだ。」
「だからって、踊るのか?」
「いやはや、ひどいもんだ。」
「そんな…。ほっといていいのか?」
「よくはないが、どうしようもないだろ?」
「何言っているんだよ!」
俺は心底、熱くなっていた。

「お前、さっきから他人事のように文句ばっかり言っているな!」
「他人事って…だって、実際、他人事だからなぁ。」
「お前らしくもない。さ、さっさと行って、もう一回会って来い!」
「え?」
「会って、話し合うんだ。」
「は、話し合う??」
「みんな、何か事情があるんだよ。いい年をして、踊りだすなんて、尋常じゃない。」
「いい年って、それほどじゃないと思うが…。」
「つべこべ言ってないで、話を聞いてやれ。きっとみんな何か困っているとか、悩みがあるんだよ。」
「いや、いくら俺でも、それは無理だよ。」
「やってもいないうちから、諦めるのかっ?」
「諦めるも何も、できっこないじゃないか。」
「もういい。お前がそんな冷たいやつだとは思わなかった。」
「なんだよ。ひどいこと言うなぁ。」
「ひどいのはお前の方だ。奥さんの病気が重くなって気が気じゃないとか、嫁や息子と揉めているとか、きっと事情があるんだろうに…。」
「それは否定はしないが、そんな複雑な環境だとは思えないが…。飼育員もいるんだし。」
「バカ野郎!いくらなんでも、飼育員とは何事だ!お年寄りを何だと思っているんだ!」

不意に話をやめたミノが、俺の顔を気持ちが悪いほど見つめてきた。
「な、なんだよ。」
「おい、ルー。お前、何の話をしている?」
「何って、お前の野球チームの話に決まってるじゃないか。」
「ほ?」
「お前がそんな気持ちで、町のお年寄りたちと野球をしていたとは思わなかったよ。ああ、幻滅したね。言うに事欠いて飼育とは!」
「黙れっ!」
ミノの一喝が6人部屋の病室に響いた。

「俺は、昨日見たシロイルカショーの話をしているんだ!」
「はぁ?!」
「お前がいつも野球の話しかしないとうるさがるから、てっきり、昨日のことを聞かれたんだと思ったんだよ。」
「……。」
「ショーが始まっても、シロイルカが自分の水槽から出てこないんだよ。しかたなしに、イロワケイルカが3頭くらい出てきたんだが、これも機嫌が悪いかして、何度お姉ちゃんがシュッと合図を送っても、ジャンプしないんだ。締まりがないったらもう、話にならん。しょうがなしにイルカが引っ込んだあと、アシカだのトドだのが出てきたんだが、こいつらも言うこと聞かなくて。曲に合わせてウォッウォッとか声を出すはずが、キーッと一声でおしまい。仕方なしに、お姉ちゃんたちが踊りだして、そしたら動物もちょっと一緒に踊ってさ。それでおしまいだったんだよ。今まで見た中で、最低のショーだった。連れて行った子供たちでさえ、どこで盛り上がっていいかわからないくらい残念なショーだったって話さ。」
「うーーーー。」

俺は、うなるしかなくなった。
「ルー。お前、勘違いも大概にしろ。俺はシロイルカと機嫌が悪い理由を話し合えと言われても、できんからなぁ。」
ミノがニタニタしながら、俺をいたぶり始めた。
「イロワケイルカがジャンプをしない理由が、家族とのいざこざかどうかも、聞き出せるかどうか、難しい問題だ。」
「だから、俺はてっきり、伝五郎さんたちのことかと…。お前も、はっきりイルカのことだと言わなかったじゃないか!」
「おや、逆切れですかぁ?」
ミノが腹を抱えて笑っている。
「おい、ルー。」
「なんだ。」
「お前、早く元気になれ。」
「うーーー。」
「お前のような頭のキレのいい人間でも、2か月もじっとしているとボケるものらしいからな。」
俺は、返す言葉を思いつかなかった。
それでも、このまま言い負けるのは悔しかった。

「うるさい!お前の口は、俺の頭のキレより悪いぞ!」
「いや、お前の頭と比べられるほど悪くないよ。」
「ああ、神様、お助けください。こいつと話していると、地球の砂漠化より、私の心の砂漠化の方が心配になります!」
「無礼者!僧侶の前で神様にお祈りするとは!」
「ふん、心の狭い坊主に、仏様も嘆いておられるだろうさ。ねぇ、みなさん!」

退屈しのぎに、俺たちの話に聞き耳を立てていた同室の患者たちが、一斉に大爆笑…のはずだったが、きょとんとした顔で俺を見つめている。

俺は、諦めて、窓の外を見上げた。
空はまだ、腹が立つほど青かった。







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