「ルー、どうした?」
俺は声の主を振り向きもせず答えた。
「空が、今日もやけに青いなぁと思ってさ。」
「なんだ。変な方向を向いているから、首も痛めたのかと思った。」
そして、含み笑いの後で、俺の知らない歌を歌いだした。
「小さな 窓から 見える この世界が僕のすべて
空の 青さは わかるけど 空の広さが わからない〜♪」

「なんだ、その辛気臭い歌は?」
俺の振り向いた顔がよほど不機嫌だったのだろう。
その分とばかりに笑顔を浮かべ、ミノは大げさな手振りで説明を始めた。
「松山千春だよ。知らないのか?」
「松山?ああ、もしかしたら、あの北海道かなんかに住んでいるハゲか?」
「それだよ。でも、そんなひどい言い方をするな。80年代のスーパースターだぞ。」
「そうか、そうか。わかったから、6人部屋の病室で不気味な歌を歌うな!」
ミノは「すまん」と素直に謝ると、許しも得ずに俺のベッドの脇の丸椅子に腰かけ、職場の同僚が見舞いに届けてくれたが、まだ俺には飲めないコーラを見つけると、くれとも言わず、勝手に飲み始めた。
今日は日曜だから、ミノは野球のユニフォームを着ている。
地域の元気なおじいちゃんたちが集まって作った野球チームで、まだ35歳のミノはエースピッチャー兼AED管理者を務めている。
今日も試合の帰りなのだろう。

「ま、しょうがないよな。確かにここからじゃ空しか見えないもんな。」
ミノは手の甲で、唇についたコーラの泡をグイッと拭いながら、俺がさっき見上げていた窓を眺めやり、同情をこめた眼差しを送ってきた。
「でも、まぁ、もうしばらくの辛抱だよ。全治2か月なら、そろそろ半分過ぎたじゃないか。折れた骨もくっつき始めたんじゃないか?」
「まあな。けど、全治ってのは骨がくっつくまでの期間で、そのあと地獄のリハビリが待っているから覚悟しとけと脅されてる。」
「しかたないだろう?命が助かっただけで文句は言えないさ。バイクで思い切り電柱に激突したんだぞ?普通なら俺の親父の世話になっているところを、医者で済んだんだ。仏様のご加護と思って感謝しろ。」
「うるさい。わかってる。それに、何万回も言ったが、おれはクリスチャンだ。」
「そうだっけ?」
とぼけた答えの後、合掌して頭を下げやがった。

いつもの不毛な会話だが、イラつく気力ももう残っていない。
働き盛りの独身男性が1か月も、複雑骨折した足やろっ骨や鎖骨を固定されたままベッドから動けずにいてみろ。
いくら命が助かったからと言って、そうやすやすと感謝などする気になるものか。

ミノとは小学校からの付き合いだ。
俺の親父の転勤で、神戸からこの街に引っ越してきて、住んだ家の隣に、ミノの親父の寺があった。
こいつは、住職の跡取り息子なのだ。
実際、すでに俺には分からない種類の修業を終えて、ときおり袈裟を着て親父のスクーターにまたがり、法事にでかけたりもしている。

不運にも、俺もこいつもミノルという名前だった。
小学校の同じクラスになったのはまぁ、よかったのかもしれない。
でも、級友からはウケが悪かった。
「ミノル!」と呼ぶと、ふたりそろって振り向くからだ。
こいつは「実」と書き、俺は「稔」というハイセンスな漢字を書く。
が、小学生にとっては、どちらも「ミノル」でしかない。
俺たちは、へんなあだ名をつけられる前に、話し合いで決着をつけることにした。
その話し合いの結果が、前からここにいたこいつが、名前の前半を取って「ミノ」、あとから来た俺が「ルー」になったというわけだ。

坊主がどれだけヒマなのか知らないが、俺が入院して以来、こいつは毎日やってくる。
平日も、週末もなく、必ず来るのだ。
一度、法事の帰りだと、袈裟姿のまま見舞いに来たことがあった。
そんな姿でベッドの脇に座られ、合掌しながら話しかけられてみろ。
縁起でもないことこの上ない。
出入り禁止を申しわたしてやったら、さすがに反省して、袈裟で来ることはなくなった。

俺はそんなに寂しくないし、お前の顔を見てもうれしかないと何度言っても来る。
しかも、毎回手ぶらで、かえって俺にもらった見舞いの品を勝手に飲み食いしやがる。
そんなミノが、一昨日、明日の土曜日は来られないのだと言い出した。
「そうなのか?」
別に、来てほしいわけじゃないが、毎日のものがないとなると、気になるのが人情というものだ。
俺の理由を問う目に、ミノはニタリと答えた。
「朝は月イチの大勤行、昼は法事が2件、夜は合コンに呼ばれた。」
「合コンだと!?」

この生臭坊主が!
昔から、こいつはそれほど女性に興味がないようで、浮いた話はあまり聞かない。
付き合っていた女性がいた時期もあるようだったけれど、こいつがどこかの寺に修業にいっている間に消滅したそうだ。
でも、女というのは、ガッつかない男には気を許して寄ってくるものらしい。
俺がどんなに努力しても近づけもしないような女が、こいつには平気で頼みごとをしに来たりするのだ。

「どんな合コンなんだ?」
「わからん。数が足りないから来いと、サダに言われた。お前がいたらお前だったんだろうが、これだもんな。」
「いちいち気に障るやつだな。何の情報もないのに受けたのか?」
「いや、ジョイがどうとか、キャビンアテンダントがどうとか…」
「女医?客室乗務員??」
「だから、分からないよ。」

うそをつくな。
分かっているから引き受けたのだろう。
あー、なんてこった。
千載一遇のチャンスだったのに!
俺たちと同じ小学校からの友達であるサダは、親父さんの不動産業を継いだ若社長だ。
金にも時間にも困らない彼は、よりよい縁を手繰り寄せるとか言って、合コンセッティングに邁進しているのだ。
俺も毎回呼ばれていたのに、今回に限って、雨で濡れたマンホールの上でバイクを滑らせている場合じゃなかった!

「で、どうだったんだ?」
俺は夕べの女性たちの話が聞きたくてたまらず、悔しかったが自分から問いかけた。
「おお、それがさぁ、今回は10人もそろってさ。」
「なに?10人も!すごいじゃないか。」
「だろ?あの、余っている感じは普段味わえないからさぁ、興奮したよ。」
「こ、コウフン…。で、どんな人だ?」
「一言でいうと…グレイト!」
「グレイト?!」

俺は不謹慎にも生唾を飲み込んでしまった。
「どうグレイトなんだ?」
「なんていうか、体が違うんだよな。」
「か、体が??」
「そうなんだよ。ちょっと着崩した襟元から、胸のあたりがのぞいてたんだけど、こう、盛り上がっていてさぁ。」
「な、お前、そんなの見ちまったのか!」
「じっくり見つめたよ。決まってるじゃないか。」
「じっくり??この変態!いくらなんでも、初対面で失礼だろうが。」
「でもさ、お前だって、あれを目の当りにしたら、見つめずにはいられないぞ。」
「そ、それはそうかもしれないけど…。そんなにスゴかったのか?」
「そうなんだ。すごいなんてもんじゃないね。あの盛り上がり方は尋常じゃない。腕なんかもこう形がよくてさ…。でも、色は白いんだ。」
「色白かぁ。」
「俺、聞いたんだよ。ずいぶん色が白いですねって。」
「おまえ、やけに積極的だな。よほど気に入ったんだな。」
「そりゃもう。ほかに盗られるくらいなら、食らいついて離さないと思ったね。」
「信じられん。清廉潔白なお前がなぁ。」
「いざというときは、俺だって食らいつくよ。」
俺の頭の中で、坊主頭のミノがダイナマイトバディのゴージャスな裸婦に食らいつくカラーの映像が浮かんだ。

「で、色が白いですねってお前が言ったら、相手はなんて答えたんだ?相手にしてもらえたのか?」
「もちろんだよ。それまでに他の話題でもずいぶん盛り上がっていたからね。」
「お前にそんなトーク術があるとは…。」
「それがよ。『夜の仕事なんです』って言うんだよ。」
「よ、夜の、仕事!?」
「そうなんだよ。聞けば深い訳があってなぁ。なるほどなぁと思ったよ。夜に体を使う仕事だから、ああいう風になるわけだ。」

体を使う、夜の仕事。
そうか。そのゴージャス裸婦…いや、美女はプロか!

「ミノ。悪いことはいわない。そいつはやめておけ。」
「なんでだよ?向こうはその気になってくれているんだぞ。」
「その気って、お前、もうそんなところまで話が進んでいるのか?」
俺はミノの速攻ぶりに度肝を抜かれた。
「気が変わったら困るだろ?専属になってくれって、頭を下げた。」
「おいおい、専属って…。何をしゃれた申し込みしてんだよ。専属じゃ、むこうさんも商売にならないじゃないか。」
「そんなことないよ。仕事の邪魔は決してしないと約束した。」
「信じられない!仕事を続けていいと????だって、プロだろ?いいのか、お前?」
「プロだからこそ、やめてくれなんて言えないよ。世間から軽くみられる仕事だけど、なくてはならない、誰かがやらずには済まされない仕事じゃないか!」
「そ、それは、一概に否定はできないけど…でも…。」

俺はなんとかして、ミノに思いとどまらせなければと思った。
なんだかんだいって、純情なミノなのだ。
海千山千のプロの手にかかったら、寺ごと身ぐるみはがされて捨てられるに決まっている。
「他にもいい縁はあるさ。この話は諦めろ。お前のためだ。」
「なんだよ、ルー。会ったこともないくせに!」
「会わなくたってわかるさ。お前がそんな世間知らずとは知らなかったよ。」
「世間知らずだと?」
「だいたい、その人は何歳なんだよ?」
「それそれ!聞いて驚くなよ!なんと54歳だっていうんだ!」
「54だって!? 54ってお前…。」
「若いだろ?これも仏さまのご加護だよなぁ。仏縁だと思ったら、ホントしびれたよ。」
「しびれたのかよ!お前…そういう趣味だったのか?いくら坊主だからって、そこまで譲らなくても…。」
「譲るってなんだよ。とにかく決めたんだ!」
「おい、早まるな!」
「いや、ぐずぐずしていたら盗られちまうんだよ。」
「誰が盗るんだよ、盗られたってかまうもんか。もっと若いのにしろ。子供だってほしいだろ?」
「子供?」

不意に口を閉ざしたミノが俺を、気持ちが悪いほど見つめてきた。
「ルー、お前、何の話をしているんだ?」
「何って、夕べの合コンに決まってるだろ?それより、とにかく、そんな年増はやめておけ。いくらダイナマイトバディに目がくらんでも、54歳じゃ、あと何年維持できるかわかったもんじゃないぞ。世間に吉永小百合は一人しかいないんだ。どの女もそうだと…」
「黙れ!」
ミノの一喝が響いた。

「この愚か者!俺は今朝、俺のチームに初参加した加納伝五郎さんの話をしているんだよ!」
「デンゴロ?」
「ああ。日中は病に倒れた奥さんの看病に専念していて、夜、道路工事をしているんだ。もともとダム建設なんかをして日本中を渡り歩いた建設のプロなんだそうだが、奥さんのことがあって、夜間の工事限定で仕事をして生活費を稼いでいるんだ。最近、日曜だけヘルパーさんを頼むようになって、前からやりたかったと野球をしに来てくれたんだよ。」
「ほへ?」
「今日の対戦相手の聖町ブラザーズも伝五郎さん獲得を狙ってるんだ。なんたって平均年齢70歳の我がチームに54歳の伝五郎さんが参加となったら…。しかも、いつもカスカスの9人でやっていたのが、10人になったら、ひとりずつベンチで休めるんだぞ。年寄りをフル稼働させて痛めつけて、坊主が仕事を作ろうとしてるんじゃないかと陰口たたかれなくて済むようになるじゃないか!!」
「な、そういうことか…。なんてこった!じゃ、合コンは?」
「実は夕べ新仏があってな。合コンはキャンセルした。今日の葬儀は親父に頼んだ。」
「あ…。」
「おい、ルー。お前、その煩悩、どうにかしろよ。なんならここで経のひとつも読んでやろうか。心が洗われるぞ。」

俺は深い深いため息をついて、もう一度窓を見上げた。
やっぱり空は、ムカつくくらい青かった。






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