「ルー、どうした?」
「コウさんよ。わかるかね?」
「そりゃ、わかるさ。」
「どうも、体調が悪くてなぁ。」
「そろそろかい?」
「そろそろ、だろうかなぁ。」
「淋しくなるなぁ。」
「とはいえ、今すぐというわけでもなかろうよ。」
コウのため息が、梢をすり抜けてヒュウと鳴った。
「ずいぶんと、長い時が過ぎたなぁ。」
「そうさなぁ。どれほどであろうかなぁ。」
「ルーが出てきてから、550年というところか。」
「ではコウさんは、もう600年か。」
「長い時であったなぁ。」
「ひと所におるというに、多くのものを見たなぁ。」
「多くの人を送った。」
「多くの仲間もなぁ。」
ルーのため息が、梢をすり抜けてヒョオと鳴った。
「行基さまがお通りの折、われらに名付けてくださったのは1300年も前のこと。」
「行雲流水。欅のスイが枯れてしまったのは、ほんにほんに、悲しかったのう。」
「おうおう。淋しかったのう。」
「ウンが香って、わしが咲く。スイが赤く染まってコウさんよ、お前様は常緑じゃ。」
「一番の長生きと思っていたスイさんが倒れたのだから驚いた。」
「あれはほんに驚いた。スイさんは美しかったのう。」
「心も美しい木であった。行基さまが名付けた我らがじじばば様が枯れたとき、スイさんは泣きの涙であったとか。」
「けれどわれらの父母様がすでに育っておったから。」
「名を継いで、ここにこうしてそろって立って。」
「心も美しい木であった。行基さまが名付けた我らがじじばば様が枯れたとき、スイさんは泣きの涙であったとか。」
「けれどわれらの父母様がすでに育っておったから。」
「名を継いで、ここにこうしてそろって立って。」
「まさかあのスイさんが、嵐で倒れるとは思いもせなんだ。」
「しかし、倒れた後も材木となって、天子様のお道具になったのであろ?」
「そうそう。家々の大黒柱にもなったわなぁ。」
「絶えてなお。えらいことじゃ。」
「ほんにえらいこと。立派な木であったなぁ。」
ふたりの思い出に、梢がフワワと鳴った。
「スイさんが語ってくれたいにしえの出来事が、私は大好きであったよ。」
「おうよ、コウさん。不思議な話があったなぁ。」
「我らも見ておらぬ公家や武家の話は、面白かったのう。」
「私は飛脚の話が好きでなぁ。えっさほいさと走ってきて、あちらの茶店で休むところを、おあしが惜しいとスイさんの、根っこに座って休む話じゃな。」
「そうそう。裾を端折った尻にびっしり汗かいて。」
「その汗かいた尻でドコンとスイさんの」
「根に座られて音をあげて。」
「犬のいばりは気にせぬが」
「飛脚の尻に騒ぐとは」
「ほんに気のよい木であった。」
ほほほ、はははとふたりの笑い声が梢をすり抜けてサワワと鳴った。
「ウンは元気にしておるかのう。」
「あまりに見事な梅であったから」
「大宰府へ、もらわれて行きおった。」
「あれがおった頃は、にぎやかであったなぁ。」
「花が咲いたらメジロがたわわ」
「うぐいす背を反りホーホケキョ」
「実がなれば、子どもがわんさかやってきて」
「青梅は食ってはならぬと叱られて」
「叱った親が後で来て」
「梅の実拾って酒つくる。」
あはは、ふふふとふたりの笑い声が梢をすり抜けてソヨヨと鳴った。
「ほれ、あの大地震の日は恐ろしかったのう。」
「かわかわ揺れる我が枝の」
「葉先につかまるこがねむし」
「ころがりおちて火に焼かれ」
「あわれ露と消えにけり」
「ここから見える家々が、みな壊れてしまった。」
「人々が泣いておった。」
「たくさんの人が亡くなったなぁ。」
「ほんにたくさんであった。」
思いにふけるふたりの梢がヒユルルルルと鳴った。
「しかし、ほんに恐ろしかったはあの戦の時。」
「空から数え切れぬほどの爆弾が降ってきた。」
「焼け野原になったのぉ。」
「なにも残らなんだ。」
「あの時、われらが足元で」
「息絶えた子供らの顔が忘れられぬ。」
「その子供らを抱えて、焼け焦げた母の顔々をどうして忘れようか。」
「切なや。」
「悲しや。」
「今は傷も消えたといえども、我らの身もまた焼け焦げた。」
「けれども雨あられの爆弾に当たらなんだは神仏のご加護。」
「行基さまが憐れんで、お守り下されたのであろう。」
「もう、戦はいやじゃ。」
「あってはならぬ。戦はもういらぬ。」
2人のため息で、梢がゴゴウと鳴った。
「…コウさんや。」
「はいはい、ルーよ。」
「長い長い時であったが、わしは今この時が、一番のお気に入りじゃ。」
「小学校の正門の脇。毎日子どもらが元気に通る。」
「足元はすぐそこまでアスファルトに覆われ、子が育たなんだは残念だが。」
「命続く限り、この門を通る子どもらを見守ろうぞ。」
「そうよな。身の内側が朽ちてきて、いずれ花咲かす力も尽きようが。」
「春にそなたが咲かねば、子どもらが落胆するぞ。何よりわしが寂しい。」
「できるだけ、ゆるゆる逝くとしようよ。」
ルーの微笑みで、梢がサラリと鳴った。
その時、保育園の送迎バスが門の外に停まった。
バスの扉からかわいらしいエプロンをした保育士が飛び出すと、後からわらわらと幼子が降りてきた。
「さあ、みんな。ここに集まって!」
はーいと声がして、子供たちが門の真ん中に集まった。
「こちらの木の名前が分かるお友達は?」
「知ってるー。こっちはね、松だよ!」
「正解。では、こちらは?ヒントはね、春になるとピンクのお花がたくさん咲きます!」
「わかった!桜だ!!」
「その通り!小学校の校長先生にうかがったら、この松の木は600年、桜の木は550年もここにいるそうです。」
「ふーん。」
「みんなの少しお兄さんやお姉さんたち、今この小学校に通っている先輩たちが、みんなと同じこばと保育園にいたとき、ここへ松ぼっくりやサクランボを拾いに来たことがありました。」
「そうして、拾った松ぼっくりやサクランボを保育園のお庭に埋めておいたら、小さな芽が出て、少しずつ大きくなりました。」
「それがいま、みんなでお世話をしている『お友達の木』です!」
保育士がふたり、かわるがわる言って聞かせる言葉で、子どもたちはだんだん分かってきたらしい。
「そうなの?」
「『お友達の木』は、いつかこんなに大きくなるの?」
「すごいなぁ!だって、松の枝と桜の枝が、ほら、ここで握手しているよ!」
子どもたちは頭の上を見上げた。門の上で、二本の木の枝が交わって、アーチを作っている。
「ええ。この門の木は、こうしてとても仲良しだから、みんなにもこの木みたいに仲良しになってほしくて、保育園のお庭に植えたの。いつか、お庭がなくなっちゃうくらい大きくなるといいわね!」
「ほんとだ!ほんとだ!」
「大きくなーれ、大きくなーれ!!」
「なんとなぁ。」
「そうであったか。」
「我が子らも、子どもたちのそばで育っておったか。」
「ありがたや、ありがたや。」
「コウさんや。」
「はいはい、ルーよ。」
「行雲流水とは、ひとところから動くことがならぬ我らには似合わぬ名と思っておったが、ただただあるがままに生きるとは、幸せなことであるよなぁ。」
「そのことよ、そのことよ。」
ふたりの声が響き交わし、梢がカラカラと鳴いた。
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「切なや。」
「悲しや。」
「今は傷も消えたといえども、我らの身もまた焼け焦げた。」
「けれども雨あられの爆弾に当たらなんだは神仏のご加護。」
「行基さまが憐れんで、お守り下されたのであろう。」
「もう、戦はいやじゃ。」
「あってはならぬ。戦はもういらぬ。」
2人のため息で、梢がゴゴウと鳴った。
「…コウさんや。」
「はいはい、ルーよ。」
「長い長い時であったが、わしは今この時が、一番のお気に入りじゃ。」
「小学校の正門の脇。毎日子どもらが元気に通る。」
「足元はすぐそこまでアスファルトに覆われ、子が育たなんだは残念だが。」
「命続く限り、この門を通る子どもらを見守ろうぞ。」
「そうよな。身の内側が朽ちてきて、いずれ花咲かす力も尽きようが。」
「春にそなたが咲かねば、子どもらが落胆するぞ。何よりわしが寂しい。」
「できるだけ、ゆるゆる逝くとしようよ。」
ルーの微笑みで、梢がサラリと鳴った。
その時、保育園の送迎バスが門の外に停まった。
バスの扉からかわいらしいエプロンをした保育士が飛び出すと、後からわらわらと幼子が降りてきた。
「さあ、みんな。ここに集まって!」
はーいと声がして、子供たちが門の真ん中に集まった。
「こちらの木の名前が分かるお友達は?」
「知ってるー。こっちはね、松だよ!」
「正解。では、こちらは?ヒントはね、春になるとピンクのお花がたくさん咲きます!」
「わかった!桜だ!!」
「その通り!小学校の校長先生にうかがったら、この松の木は600年、桜の木は550年もここにいるそうです。」
「ふーん。」
「みんなの少しお兄さんやお姉さんたち、今この小学校に通っている先輩たちが、みんなと同じこばと保育園にいたとき、ここへ松ぼっくりやサクランボを拾いに来たことがありました。」
「そうして、拾った松ぼっくりやサクランボを保育園のお庭に埋めておいたら、小さな芽が出て、少しずつ大きくなりました。」
「それがいま、みんなでお世話をしている『お友達の木』です!」
保育士がふたり、かわるがわる言って聞かせる言葉で、子どもたちはだんだん分かってきたらしい。
「そうなの?」
「『お友達の木』は、いつかこんなに大きくなるの?」
「すごいなぁ!だって、松の枝と桜の枝が、ほら、ここで握手しているよ!」
子どもたちは頭の上を見上げた。門の上で、二本の木の枝が交わって、アーチを作っている。
「ええ。この門の木は、こうしてとても仲良しだから、みんなにもこの木みたいに仲良しになってほしくて、保育園のお庭に植えたの。いつか、お庭がなくなっちゃうくらい大きくなるといいわね!」
「ほんとだ!ほんとだ!」
「大きくなーれ、大きくなーれ!!」
「なんとなぁ。」
「そうであったか。」
「我が子らも、子どもたちのそばで育っておったか。」
「ありがたや、ありがたや。」
「コウさんや。」
「はいはい、ルーよ。」
「行雲流水とは、ひとところから動くことがならぬ我らには似合わぬ名と思っておったが、ただただあるがままに生きるとは、幸せなことであるよなぁ。」
「そのことよ、そのことよ。」
ふたりの声が響き交わし、梢がカラカラと鳴いた。
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コメント
コメント一覧 (4)
550年とか600年とか、長すぎてどのくらいの時間なのかわかりません。
47年だって相当な長さだというのに、これは修業でしかないですよ。
だからこそ、ご神木っていうんでしょうね。
ところで、以前Hikariさんが「家に帰ったらすぐ化粧を落とす」とおっしゃっていましたが
真似してみたら肌の調子がグンとよくなりました。
ためしてみるもんですね〜。
絵本にして、読み聞かせしてあげたいな
旧街道沿いの小学校に実在する桜の木をモデルに書きました。
もしかしたら、のっそりと生きて、修行だと思っていないかもしれませんね。
「帰って化粧を落とさずにご飯を食べるなんて、雑巾を顔に貼り付けて食事するのと同じ。化粧を落とさずに寝たら、雑巾を顔に載せて寝るのと同じ」と教わったことがあり、帰宅後にすぐにお化粧を落とします。
お肌の調子がよくなって、よかったですね!
新しいパソコンを買ってもらいました!
まだ設定の途中だけど、ちょっとアクセスしてみました。
相変わらずしゃべれないので、静かにしてます。
私にも読み聞かせしてください〜