「ルー、どうした?」
「それがさぁ…見てよ。」

試着室からなかなか出てこない瑠璃絵を待ちきれなくなって声をかけると、瑠璃絵は試着室のカーテンの隙間から右目だけを不気味に覗かせて、こっちに来てと言う。照れてないで出てくればよいものをと思いながら、カーテンの中に首だけ突き入れて覗くと、親しき仲にも礼儀あり、吹き出さなかった自分を褒めてあげたいと真剣に思うような光景が目に飛び込んできた。

「ありゃー
「ダメよね、これ?」
「ああ、まあね。別にこれじゃなくてもいいんじゃない?って感じかなぁ。」
傷つけないように言おうとすると、言葉数が多くなる。
「だよねぇ。」
瑠璃絵はものすごく残念そうに、がっくりとうなだれた。
「わかった。脱いじゃうから、もうちょっと待ってて。」
「ファスナー、下ろせる?」
「うん、多分…」

私はカーテンから首を抜く前に、もう一度瑠璃絵を見た。
なにを思ったのか知らないが、トラ柄のワンピースが欲しいといって買いに来たのだ。探すのかと思ったら、すでに目星がつけてあったらしく、気恥ずかしげに出してもらったのは、全体がトラ柄でノースリーブ、体の線が見事に浮き上がるタイトな仕立てで、スカートもきわめて短いものだったのだ。日常生活のあらゆる場面を想定しても、これを着るチャンスは思いつかないような服だ。
どうしてこれが着たいのかな?
私が考えていると、瑠璃絵はいそいそと試着室に消えたのだった。

瑠璃絵は驚くほど色白で、手足が細い。そして私より頭一つ分くらい小柄で、なんともかわいらしい面立ちをしている。これまでのお気に入りは、色で言えばパステルカラー、お花畑から出てきたようなフワフワしたイメージの服だった。だから、こんなド派手なボディコンを着たいと思うことからして驚きだし、着ているところを見たのも初めてだ。そんな見慣れない瑠璃絵の前面ではトラ柄が極限まで横に引き延ばされている。さらに、向こうの鏡には上がりきらずに背中の途中でとまったファスナーが今にもはち切れそうになっている後ろ姿がバッチリ映っている。どちらの瑠璃絵にも、このトラ柄はいささか小さすぎたようだ。それに、折れそうなほどほっそりした人だと思っていたけれど、パックリと開いた背中から見える体には意外と脂肪がついていて、特にお腹とお尻には迫力があった。

サイズ以外のイメージはバッチリだったのに…と未練たっぷりに振り返る瑠璃絵とその店を出てから、足を棒にして捜したけれど、とうとう瑠璃絵に似合うトラ柄の服は見つからなかった。関西じゃないんだから、そもそもトラ柄に遭遇すること自体多くはないのだ。私たちは歩き疲れて、目に入ったサリーズに入ることにした。コーヒーを買う前に席にへたりこむ。店内が空いている時間でよかった。この疲れきった足腰では、背もたれがないスツールはちょっとキツい。

テーブルにハンカチを投げ出して席を確保してから、勢いをつけて立ち上がり、コーヒーを買いに行く。
私はハニーカフェラテ、彼女はカフェモカだ。トラ柄ワンピースを着た姿をさっき見たばかりだから、彼女のカップを飾る、盛り上がった生クリームとチョコレートソースが脂肪の素に…と思ったが、黙って席に着いた。

「ねぇルー、何で急にトラ柄のワンピースが着たいなんて言い出したの?」
「だって…彼が『うる星やつら』のランちゃんが大好きだっていうんだもん。」
「ランちゃんて…ああ、あのトラ柄のビキニにブーツで『ダーリーン、なんとかだっちゃ!』とか言う、あれ?」
「うん。子どもの頃読んでて、ずっとファンなんだってさ。」
「ファンったって、二次元の世界でしょうが。同じものを三次元の彼女に求めるか、普通?」

瑠璃絵はうっとりと見つめた後、真っ白いクリームだけをスプーンですくって、さも美味しそうに口に運んだ。
「別に、求められてるわけじゃないよ。」
「じゃまた、何だって突然?」
「あたしたち付き合い始めて2年になるのね。最初のうちは何をしてもしなくてもドキドキしたし、ステキだし、毎日キラキラしてたのよ。彼もあたしのこと見ててくれるなぁ、好きでいてくれるなぁって感じることが多くて、すごくハッピーだったの。でも、2年にもなると、何もかも当たり前って言うか、前ほどドキドキしないのよ。」
「なにガキみたいなこと言ってるの?んなの当たり前じゃない。2年もずっとドキドキし続けていたら、心臓が悪くなっちゃうよ。」
「そうかもしれないけど…寂しいのよ。彼、最近うちに来るのも自分の家に帰るのと変わらないなぁなんて言うし、スマホでゲームばっかで、あたしの方見てくれないし。話も聞いてるふりして、あれ、絶対聞いてないもん。」
「で、その彼を振り向かせようと?」
「ちょっとサプライズっていうのかな?いつもと違うのもいいかなぁって。私だって一生懸命考えたんだから!」

ハニーカフェラテはほんのり甘くて、歩き疲れた体にしみこむ美味しさだったけど、飲み進むほど甘味が強くなった。しまった!はちみつがカップの下に沈んでいたらしい。これは、糖分の摂りすぎだわ!
「でもね、見たでしょ?私、最近太っちゃって。」
「運動不足?それとも食べすぎた自覚があるとか?あ、ストレス?」
「わかんない。特に変わったことしてないんだけどなぁ。」
「してないから、だめなんだよ、きっと。」
「そうなの?だって、急に来たって感じなんだよぉ。」
「わかる!だって…」
私も同じだからだ。

「私もなんだよー、ルー!」
「えっ、佳奈ちゃんも??」
「そうなんだ。今も、このコーヒーのはちみつが甘すぎた、しまった!って考えていたんだ。」
「うそぉ。全然見えないよぉ。相変わらず薄いよぉ。」
「薄いのは、肩と胸だけ!お腹から下が、もう、どうしようもない。」
「あーーー!あたしもそれだよぉ。」
「こんなところに同志がいたかぁ。やっぱ、歳のせいかなぁ。」
「うそぉ。歳なんて!ねぇ、もしかしてダイエットとかしてる?」
「してる!ダイエット関連本をダーッと読んで、エッセンスをかいつまんで。」
「おしえて、おしえて!どうしたらこのお腹、ヘコむのぉ?」
「まず、食事は、糖質オフ!」
「糖質?」
「それも知らないの?炭水化物だよ。」
「ああ、ごはんとか、芋類とか、砂糖とかね?」
「うん。でも、減らしすぎちゃダメ。」
「どうして?」
「炭水化物は脳や筋肉の栄養なのね。余ると脂肪に変えて蓄えられちゃうから摂り過ぎはダメだけど、削りすぎると、脳は自分が少ない糖質を確保するために考えるのよ。『あー力が出ない、このままじゃ動けないから、筋肉減らそうかー』って。そうして、基礎代謝の基になる筋肉が、なんと脂肪に変えられてしまうのだ!」
「おっそろし〜〜〜!」
「だから糖質は適度に減らす。で、食べる順は、両手いっぱい分の野菜、少量かつ多種類のたんぱく質、ちょっとだけ炭水化物ね。」
「お肉とかは減らさなくていいってこと?」
「そう。食べるな!って人もいるけどね。1種類どかんと食べないで、幕の内弁当みたいにちょっとずついろいろっていうのがいいみたい。あー、でも、脂質は摂りすぎたくないから、牛乳を豆乳にするとかいう話は実行してるよ。」
「なーーる!で?」
「次は運動。ギッタンバッコン腹筋しても、丸っ腹は凹まない!」
「うそぉ。」
「ジョギングしても、スクワットしても、丸っ腹は丸いまま!」
「そうかもねぇ。それで凹むならみんなやってるよねぇ。」
「だから、お腹をへこませたかったら、お腹の内側の筋肉をぐいっとへこまして、あ、自分は筋肉だった!って引き締まった形を思い出させるんだって。その時に縮む筋肉って、腹筋とは違うものらしいよ。お尻も同じ。キュッと力入れて、引き締めて、それが本来よって思いこませるといいんだって!ちょっとやってみなよ、案外お腹へこますって難しいよ。」
「うーーっ、ホントだぁ。いつの間にこんな!」
「で、継続的に有酸素運動で全体的に余分な体重をゆっくり落とす!」
「有酸素運動ってウォーキングとかスイミングとかね。で、どうなの?効果は?」
「ない!」

そうなのだ。効果はなかなか出てこない。
若い頃は2〜3日食事を減らせば2〜3キロすぐにやせたのに。
「今はさぁ、水を飲んでも太る気がする。」
若い頃…と考えている自分が、もう若くない証拠だと思えて、ずしんと落ち込んでしまった。

「私なんか、今は息吸ってるだけで太るよ。」
「なんとかならないかなぁ。ルーはまだ手足が細いから、なんとかなると思うのよ。私はフトモモまでやられちゃってるから、時間かかりそう。」
「さっきのトラワンピースでつくづく思ったわ。このお腹じゃ、彼の気持ちが冷めても責められないって。」
「あら。彼に『あなたは体型を愛しているの?それとも私?』とか、言わないの?」
「言えないっしょ?」
「まぁ、そうだよねぇ。だって、さっきのルーったら、ランちゃんじゃなくて、
みつばちマーヤだったもんねぇ!」

しまった!と思った時にはもう遅かった。
みつばちマーヤのところに、妙な力を入れてしまったのもいけなかった。
無表情になったルーの指から生クリームをすくっていたスプーンがポロリと落ちて、床でカラーンと渇いた音を立てた。

みつばち




もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!



人気ブログランキングへ