「ルー、どうした?」
湯上りのビールが欲しくて台所へ行ったら、カウンターキッチンの向こうに難しい顔をして何か考え込んでいる妹が見えた。
「ルーも飲む?」
もう一本缶ビールを持っていき、妹が座っているテーブルに置いてやった。
「ああ、お兄ちゃん、ありがと。」
2人同時にプルトップを引き開け、黙って缶をコンとぶつけると、ぐびりと飲んだ。
「あー、うま。で、何考え込んでるんだ。難しい子でもいるのか?」
妹は小学校の先生をしている。
「違う違う。そういうことじゃないよ。」
じゃ男か?と聞きかけて、やめておいた。
相談されても面倒くさい。種をまかなければ芽は出まい。
ふう。
ため息をひとつついてから、妹が言った。
「今日、純子ちゃんに会ったのよ、偶然。」
「へぇ。その名前、久しぶりに聞くねぇ。高校の同級生だよな?」
「うん。で、大学も同じとこ行った。」
「そうだった。お前が小免とって、その子は確か…」
「大学院いって、臨床心理士。」
「ああ、思い出した。カウンセラーになったんだっけ。」
「うん。あんまり接点なくなっちゃって、会ってなかったんだ。お互い仕事忙しいし、なんだかきっかけがなかったっていうか。」
「で?今日は何で?」
「研修会があったのよ。そしたらさ、純子ちゃん、講師として来てたの。」
「へぇ。教員研修の講師って、けっこうすごいじゃん。」
「うん。クリニックでカウンセリングもしているけど、少し前からあっちこっちの企業とか学校とかまわって研修講師もしてるらしい。」
どうもわからなかった。
昔の友だちに再会した話と、話している間も頬杖をついて仏頂面をしている理由がつながらない。
「研修終わってから、声かけに行ったらさ、向こうからもあたしが見えてたんだって。懐かしいねぇって盛り上がって、帰る前にちょっとお茶しようってことになったのよ。」
「うんうん。」
「で、今どんな?なんてことを話し始めてみたら、10年ぶりくらいに会ったのに、全然違和感なくてさ、すっごい盛り上がって。サリーズのコーヒー1杯1時間で居酒屋2軒くらい語り合った気がする。」
「よかったじゃないか。」
「それでね…。」
中学校教師なんぞしていると、あ、この次出てくる言葉は大事だぞと、事前に気付けるようになっちまったりする。
この時もそうだ。
もしもここで言葉を飲み込むようなら、ここだけは聞きだしてやらないといけない。
中学生はとくに、そこらへんがぐちゃぐちゃしているから、大人から手を出してやるのが、ホントに大事な時があるんだよな。
ホントは大人も同じだと、自分は思っている。
「それで、散々盛り上がった話が、ふつっと切れたわけ。そしたら純子ちゃん、じゃ、そろそろ帰ろっか、って言うの。で、グラスとかカップとか片づけてさ、店の外に出て、ちょっと歩いた先で『私はあっち。駅は向こうだからね。じゃぁね!』って、手を振ってさっさと帰っちゃったのよ。」
「さっさと、ね。それのどこにひっかかったの?」
勘のいい妹は、勘のいい兄貴の勘にちゃんと気付く。
「ん。ひっかかった。あたしね、実はどこで切り上げて、どういう別れ方したらいいか、分かんなかったんだ。」
「わからん。どういう意味だ?」
「だって、10年ぶりに会ったんだよ?なのに純子ちゃんが、すごくあっさりして見えたんだ。さっきまで盛り上がったのが嘘みたいっていうか。あたしね、なにかこう、もっと再会に感激して見せたり、再会の約束したりしなきゃいけないかな?って感じてた気がする。」
「別に、いいんじゃないの?」
「純子ちゃんも言ったんだ。『今度はご飯行こうね!』って。でも、鈍感な私でも、今のは社交辞令だなってすぐ分かった。」
「気に障ったのか?」
「そうじゃないんだー。その逆。ああ、それでいいんだぁって感じ?」
「?」
「あたしね、自分の人との距離感っていうのかな?それが純子ちゃんに比べると、近すぎるんだなって気付いたんだよね。こう、なんていうのかな、しがみつくみたいな感じっていうのかな。相手の言うことにはまず一応同意してみたり、相手がしてくれたことには大げさなくらい感謝して見せたり、してきたなぁって。」
妹は兄貴に話しているけど、きっと自分と対話している。
自分は黙って聞いてやればいいんだと思う。
「なんでそんなに相手に近づいちゃうのかって、考えたんだ。そしたらさ、依存したいからなんじゃないかって思った。純子ちゃんは人との距離のとり方が巧いんだよね。だから一緒にいて、すごく居心地がいい。それって、こっちに寄りかかろうとしてないけど、目も離していない距離なんだよね。きっと純子ちゃんは、人に頼らなくても自分の足でちゃんと立てる人なんだなってね。そしたら自分が情けないっていうか、不器用だな、ダメだなーって思っちゃってさ。」
「それってさぁ、俺たち兄妹の場合、仕方ないんじゃねぇの?」
「しかたない?何で?」
「ほら、ウチ、親父もおふくろも高校教師だったろ?あのふたりが互いのどこにホレたのか、いまだに謎だよな。性格の不一致が離婚の正当な理由になるなら、あの二人にはそもそも結婚の理由がないくらい性格が違う。勢いか何かで思い切ったんだろうけどさ、準備ができてなかったのさ、家庭ってもんを作っていく準備がさ。」
「あー、確かに。なんか分かる気がする〜。」
「なのに、あっという間に俺が生まれて、育休中にルーができただろ?おふくろはあの性格で子育てに全力投球、新婚の夫はそっちのけだ。で、親父は親父で、それなら俺は部活に燃える!だったから、ウチは強烈な母子家庭だったわけよ。」
「定年退職するまで、お父さんが家にいるのって、なんか違和感出るくらいだったもんねぇ。」
「そのおふくろが、育休終わって復帰した時、俺たち保育園に預けられただろ?で、おふくろも仕事の鬼に戻った。」
「うん。」
「あれってさ、今の経験と知識から考えるとさ、子どもにとってはマジでキツかったと思うんだよ。」
「あ!」
「それまでおふくろが全力で面倒見てくれていたのにさ、ある日突然自立しろって言われてもムリだよな。必死で助けを求めるよ、甘えていた子どもなら、なおさらさ。不安で心細くてさあ、親父もおふくろも無理なら、身近な誰でもいい、俺たちを助けてくれーって、すがりつくよな、当然。」
「そういうことか!」
「俺たちが県立高校の教師にならないで、市立の小学校と中学校を選んだのもさ、そっちに興味があったからって言ってたけど、実はあの二人と同じフィールドでは働きたくないって気持ち、けっこうなかった?」
「うそ、お兄ちゃんもなの?」
「ああ。そうなんだよ。あれってさ、もしかしたらさ、小さい俺たちより仕事を選んだ二人と距離をおきたかったっていうか、ちょっとした意地悪…復讐心っていうか、そんなもんがあったような気がするんだ。」
「なんか、分かるよ。あたしもそうかも。」
「ルー。お前のおかげで、俺も今、分かった気がするよ。」
「え?」
「俺たちさぁ、もうすっかり自立できているのに、あの頃の記憶だけはしっかり握りしめていてさ、必要もないのに誰かにすがりついちゃう癖があるのかもな。俺にも覚えがあるんだよ。お尻に抜け殻くっつけたまま飛んでるセミみたいなもんだな。」
「そっか。そりゃ風当たりが強くて、疲れそうだね。もういらないね。」
「いらないねぇ。」
「ふふふ。ありがと、お兄ちゃん。じゃ、今夜はお互い、脱皮記念日ってことで。」
背筋を起こした妹に、俺はビール缶を突き出した。
「じゃ、お互いの脱皮に、乾杯!」
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コメント
コメント一覧 (6)
今まで 気づかずにいた モヤモヤが
兄妹そろって すっきり 晴れて…
「つ〜」 と言えば
「か〜」と応えてくれる
こういう 関係は いいものです♪
兄がほしかった私にとって、こういうお兄さんがいるって憧れです。
友達もいいけれど、同じ環境を過ごしてきた者同士だからこそ
気付けたり、語り合えたりすることって、きっとありますね。
この兄妹は、親御さんと違う職場を選んだ時点で、自立したんだと思います。
そうして、それを互いに言葉で確認し合えた時に、さらに確固と自立した。
そんな成長がさりげない毎日の中にあるって、いいですよね。
久しぶりに会った人がいても、ドライな対応をしがちですね。
卒業式でも、別れを惜しんでいつまでも学校に残るなんてことはしません。
あっさり、「じゃあね」って帰っちゃう。
それで何かが変わるわけじゃないし。
人との距離を近くしようとすべきなんでしょうか??
ドライな対応が板についている砂希さんが、いきなりしっとり近づいてみても、きっとご自身で居心地が悪くて、うわーって思われるんじゃないかしら。
お友達が多い方というのは、多かれ少なかれ、妙に後を引く付き合い方はしないように思います。
寂しさを埋めてもらうため、気遣ってもらうことで自己重要感を得るため、なんて下心があっての親密さは、持つ方も向けられる方もいずれしんどくなりますね。
私は、兄貴とはだめだな・・・
ちっとも、わからないし、好きじゃないし・・
分かり合える人って、全然、思えない(笑)
兄と妹の組み合わせって、お兄さん次第で関係が決まるなぁという先入観があります。
どうしてかな?
今回描いた兄妹は、私の理想です。
お互いの支えになれるようなきょうだいって、すっごくいいです。