「ルー、どうした?」
呼ばれた研究員は、ディスプレイから一瞬目を離して椅子ごと振り返った。
「主任、もうすぐ解析が終わりそうです!来てください!」
「わかった。すぐ行く。リー、報告を続けてくれ。」
「はい。そういうわけで、今のままでは補助金が打ち切られるということのようなんです。」
「なんと愚かな!」
主任は額に手を当てて、大袈裟にのけぞった。
「我々の研究がどれほど人類に貢献するか、理解できないのか!」
「とはいえ、主任。研究成果がこれでは、説得力に欠けるのではないでしょうか。」
リーは思いきって言ってみた。
案の定、直情径行型の主任は目を三角にして食ってかかってきた。
「説得力に欠けるだと?何を言うか。
我々は、わずか10%しか使われていない人間の潜在能力を100%引き出す技術を開発したんだぞ。これがどれだけ人類に貢献するか、子どもにだって分かるだろう。人類の未来を変える、画期的な技術なんだ!」
「それはそうです。我々にしかできなかった研究でもあります。世界がこの研究の成り行きに注目し、実用化を待っています。しかし、です。」
リーは、ここが肝心と、一度言葉を切った。
大切なことを伝える時ほど、力を抜いたほうがよい。
特に主任に話すときはそうだ。
小さく息を吐き出すと、リーは慎重に言葉を選んだ。
「技術としてはほぼ確立されたと言えます。動物実験ではすばらしい結果しか出ませんでした。だからこそ、人間に対してこれを使い、データを取ることが許されたのです。しかしながら、その結果は散々だったではありませんか!」
「むうぅ。」
主任はうなりながら唇を噛んだ。
「全世界の期待を集めた検体Aをお忘れではないでしょう。」
リーは資料を主任の前に差し出した。
「検体Aは、確かに潜在能力を100%発揮できるようになりました。けれど…。」
資料にはこう書かれている。
検体Aの能力が開発された割合
◎食欲30%
◎睡眠欲30%
◎想像力15%
◎性欲10%
◎労働意欲5%
主任は苦虫を噛み潰したような表情で、資料から顔をそむけた。
リーは畳みかける。
「検体Aがもともと発揮していた能力は、彼が持っている能力全体の1割程度でした。その1割の半分は労働意欲、後の生活欲求はそれぞれバランスよく保たれていました。社会人として非常に優秀な人材だったため、第1号検体に選ばれたのです。なのに、実験の結果、彼の潜在能力は彼の生活欲求を伸ばすことのみに発揮されました!」
そんなことは分かっていると言わんばかりに、主任は口を開きかけたが、続く言葉を飲みこんだ。
「検体Aは今どうしている?」
「持っているすべての能力を傾けて食べて寝るばかりです。眠ること、夢見ることに集中しているので、奥様は相手にされず、涙涙の暮らしです。彼のすさまじいばかりの食欲に、どうしたらよいかと連日相談を受けています。」
「まあ、Aの一生分の生活費は国庫から支出されるから、奥さんには頑張ってもらうしか…。」
「なにもしなければ、あの夫婦は円満で、奥さんはずっと幸せでした!」
「だが、Aは今の方が幸せなのだろう?」
そうなのだ。
検体Aは、眠って食べてまた眠る暮らしに、心の底からの満足を覚えているらしい。社会性を失ったというのに、これはどういうことか。
「検体Bも、実験前は極めて優秀な小学校教員でした。彼女の授業力ははかりしれず、他府県からも見学者が絶えませんでした。そこで、その能力の更なる開発を期待して、第2号検体に選ばれました。」
「おお。」
「ああ。」
「ああ。」
いつの間にか集まってきた研究員たちの口から、深いため息が漏れた。
それだけ、検体Bがもたらした衝撃は大きかったのだ。
「検体Bも確実に潜在能力を100%活用できるようになりましたが、開発されたのは…。」
リーがめくった資料にはこう書かれていた。
検体Bの能力が開発された割合
◎性欲75%
◎労働意欲10%
◎社会適応欲7%
◎物欲3%
リーの脇から、ラーが口をはさんだ。
「Bはもともと、持っている能力を2割近く発揮している、珍しいタイプでした。我々はそれがバランスよく伸びるものと仮定しておりましたが、伸びたのは、潜在していた性欲だけでした。」
「なんだ、ラーまで!」
「検体Bは、あふれんばかりの性欲を潜在させることによって高い社会性と教育力を示していたと思われます。それが、能力を100%発揮できるようになってみると、何物にも抑えがたい性欲に支配され、もはや仕事など手につかない状態になりました。」
ラーは燃えるような瞳で主任を睨みつけている。
「で、検体Bは今…?」
「あまりにすさまじい性欲で、一般社会に放置するのは危険なのと、別の研究依頼があったため、本人合意のもと、そちらの研究機関で暮らしています。」
「別のとは?」
「検体Bの能力開発に従い、Bの生殖に関わる身体機能も格段に開発されたようなのです。そこで、高い割合でこの機能が発達した場合、人間の女性は何歳まで妊娠・出産が可能なものなのか実証実験することになったと…。」
「なにっ?」
「仮説は、一生可能、というものだそうです。そのため、あちらでは、Bの求めるままに次々と好みの男性を連れてきて、際限なく営みを…。」
「もういい!それでもBは幸せだと言っているのだろう?」
「そう、そこです!」
リーが引き継いだ。
「検体Bも、教師として高い評価を受けていた過去よりはるかに幸福感、充実感があり、しびれるほどの生きている実感を味わっているというのです。社会的には葬られたと言うのに!」
研究室いっぱいに、重い空気が流れた。
「その後の検体CからWまで、どれひとつとして、われわれが期待するようにはなりませんでした。ただひとつ、検体たちが口をそろえて自分は極めて幸せだという点を除いては!」
「ああ、そうだったなぁ。検体Mは全力で酒のことしか考えない人間になってしまったし、検体Rは飽くなき追求心で動物園やら水族館やらを巡って、動物と会話しようとしている。」
「みんな幸せだと口をそろえていうけれど、社会的に極めて有用だった人物をつぎつぎにドロップアウトさせているだけではないかと、疑問の声が強いんだ。」
研究員が視線を交わしながら口々に話しだした。
リーは大事な話をすることにした。
リーは大事な話をすることにした。
「突如姿を消した検体Vが見つかったそうです。」
「おお!どこで?」
「某国の反政府組織が拉致したと…。」
「なんだと?」
「Vは身体機能と闘争心が爆発的に開花しましたが、調整力が伴わず、自分の力をコントロールできませんでした。それが、兵士としてはこの上ない存在だということで…。」
「なんてこった!我々はこの技術を決して戦争には使わせないぞ!」
「当然です。今、政府が各国と協力して奪還にかかっているとのことです。」
ずしりと重たい空気が停滞している。
「主任。我々は誤解していたのではないでしょうか。」
リーは身を乗り出し、押さえた声で告げた。
「確かに、我々には豊かな潜在能力があります。
しかしそれは、社会にとって都合がよい、我々が期待したような部分が、均等に隠されているのではないのです。
伸ばしたい部分だけ、都合よく伸びるのでもない。
伸ばしたい部分だけ、都合よく伸びるのでもない。
それぞれ、ひどくアンバランスに、時には有害でさえある力を蓄えているのではありませんか?
それを、難なくコントロールして社会適応するために、溢れる部分を敢えて潜在させたと考えるべきなのではないでしょうか。
それを、難なくコントロールして社会適応するために、溢れる部分を敢えて潜在させたと考えるべきなのではないでしょうか。
これ以上の実験継続は危険です。
個人の幸福が社会の不幸につながってはなりません!
国が補助を打ち切るのも、当然だと思います!!」
「う、うるさい!」
主任は机を叩いて立ち上がった。
「実験は全人類数から考えれば、砂粒ほどにもならない微数。
まだ始まったばかりだ。
結論を出すのはまだ早い。
ルーが分析している検体Xこそ、我々の求める結果に到達するだろう。
なんといってもXは…」
なんといってもXは…」
「主任!解析が終わりました!」
「おお、ルー。できたか。すぐにこちらへ…。」
研究員の大きな輪ができ、ルーの報告を待っている。
「これです。」
ルーは、解析結果を主任に手渡した。
その紙を凝視した主任の口がガクンとだらしなく開いた。
「な、なんと!こ、こ、これは…!」
コメント
コメント一覧 (2)
でも、本人たちが幸せと言っているなら、悪いことではないのでしょうか。
もし、私が被験者だったら、どんな人格に変わるのかしら。
睡眠欲と食欲はアップするに違いありません。
買い物もしたいので、物欲も。
旅行や映画など、あちこち出掛けて行動欲も満たしたいですね。
ああ、考えただけで幸せ(笑)
Xの結果を読者の想像に任せることで、スマートなまとまり方になりましたね。
お返事遅くなってごめんなさい。
忙しかったぁ!
私が被験者だったら、確実に社会生活からはドロップアウトだと思います。
砂希さんは社会資源を生かして生きる人になれるのですね。
Xは、何パターンか具体的な内容を書いてみました。
でも、どれも納得できないのです。
で、こうしてみたら…あら、不思議。
私が書きたかったのはこういう結末でした!