「ルー、どうした?」
突然足を止め、後ろを振り向いたルーにかけた俺の声はあくまで低く、つぶやきよりも小さかった。
が、あいつを跳びあがらせるには十分な威圧感があったようだ。
ヒッとびくついた後、ルーはひどく怯えた声で小さく答えた。
「ご、ごめんなさい。なんだか人影が見えたような気がして。」
「馬鹿なヤツだ。この不動産屋の従業員は社長も入れて5人。
俺以外の4人が全員出ていくのを、その目で確認しただろう。
それでも念には念をいれて午前2時まで待ったんだぞ。
こんな時間に忘れ物を取りに来るやつもいない。
この時間は警備のガードマンも来ない。分かっているんだ。」
本当に馬鹿な女だ。
そう思いながらも、俺はルーの視線の先をじっと見つめた。
やはり、なにも動く気配はない。
ただ暗闇の底から、見慣れたドアとロッカー、机や椅子がぼんやりと浮かんで見えるばかりだ。
こいつ、やっぱりもうブルってやがる。
人がいないと知りながら声をひそめているのは万に一つの用心だ。
それでも十分に、俺の苛立ちは伝わったらしい。
「わかってる。ごめんなさい。でも、やっぱり怖い。
いまならまだ間に合うわ。こんなこと、やめようよ。」
俺は腹の底から、女なんか連れて来るんじゃなかったと後悔した。
キャッツ・アイでも気取ったか、ルーはグラマラスな身体の線を見せつける、ぴったりとした黒の革ジャンと革パンツで、足元は当然、黒のロングブーツだ。
腰まである茶色い髪にはゆるくウェーブがかかっていて、闇の中でも艶がある。
俺を見上げる顔が、窓越しに差し込む街灯の明かりを受けて、片方だけ闇の中に浮かび上がった。
白くて小さい、整った顔だ。
顔と体がいい女は馬鹿だと聞いたことがあるが、こいつはその通りの女だ。
「お前、もう恨みを忘れたのか。
あんな男、殺してやりたいと言い出したのはお前だろう。
散々おもちゃにされて、ゴミみたいに捨てられたところを拾ってやった俺の言うことが聞けないのか?」
「聞くよ!聞くけど、怖いんだもん。」
社長の南原は本当に、殺しても飽き足りないやつだ。
自分勝手で傲慢で、俺たち従業員のことなど虫けら以下だと思っている。
不動産業は素人には分かりにくい商売だ。
それをいいことに、素人さん相手にどれだけボッタクっているか。
それだけではない。
それだけではない。
表向きは地元の名士だとか言われているが、裏では、政治家と暴力団を密かにつなぐパイプ役をしているのを俺は知っている。
当然、カネと利権のためだ。
「いいか、ルー、よく聞け。
殺してもいいようなところを、カネで許してやろうっていうんだ。
お前だって慰謝料くらいもらって当然だろ?
俺は南原の弱みを握っているんだ。
警察に言えば、南原だけじゃない、ヤツの後ろで甘い汁をすすってるやつらも全部オダブツなんだよ。
それを黙ってカネで許してやろうっていうのに、南原の野郎、値切ってきやがったんだぜ。」
社長社長とこびへつらっていた相手を呼び捨てにするのは爽快だ。
暴力団とのつながりがサツにばれそうになったとき、南原は俺一人が暴力団とつながっていたことにしやがった。
確証を持っていなかったサツに、善人面して一部を認めて見せ、社員が勝手にやったことだと、俺に一切合財なすりつけ、売りやがった。
今までいいように使ってきた挙句がこれか。
ぼやぼやしていたら逮捕されちまう。
つかまったら南原の野郎のことをぶちまけてやるだけだが、どうせなら、その前に高飛びしてやる。
なのに、ヤツは金を出し渋った。
社長社長とこびへつらっていた相手を呼び捨てにするのは爽快だ。
暴力団とのつながりがサツにばれそうになったとき、南原は俺一人が暴力団とつながっていたことにしやがった。
確証を持っていなかったサツに、善人面して一部を認めて見せ、社員が勝手にやったことだと、俺に一切合財なすりつけ、売りやがった。
今までいいように使ってきた挙句がこれか。
ぼやぼやしていたら逮捕されちまう。
つかまったら南原の野郎のことをぶちまけてやるだけだが、どうせなら、その前に高飛びしてやる。
なのに、ヤツは金を出し渋った。
「それって、その弱みっていうのが、ほんとは大したことないからじゃないの?」
ルーは天然ボケの頭で案外鋭いことを言ったつもりのようだ。
大発見をした子どものようなドヤ顔で聞いてきた。
「あいつらの金の動きを記録したファイルを持っているんだよ。
大したものに決まってるじゃねぇか。」
「すごい!どうして今まで教えてくれなかったの?」
「こんな秘密、誰にも言うわけないだろ。」
「そのファイル、どこにあるか、教えて。」
ルーがすり寄ってきた。
豊満な胸を俺の腕に押しつけるようにして、耳ではなく、俺の首筋に唇を寄せて話しかける。
こいつの息は、甘い香りがする。
こいつの息は、甘い香りがする。
「あんたは、あたしのこと捨てないよね?」
「ああ。俺はあのジジイとは違う。」
「ほんと?信じていい?」
「うるさい。何度も言わせるな。」
「じゃ、証拠を見せて。」
「証拠?」
「あんたの大事な秘密、あたしに教えて。そうしたら、あたし、あんたのこと今よりもっと信用できるし、安心できるから。ね?いいでしょう?」
俺は考えた。
金庫のありかは当然知っているが、複雑なダイヤルの動かし方を知っているのは、社長秘書という名の愛人だったルーの方だ。
紙に書けと言ったが、実際にダイヤルに触れないと思い出せないと言う。
南原がこいつに溺れて飽きて捨て、こいつが5年も勤めた会社を辞めたのはひと月前だ。
毎日触っていないと、たったひと月で忘れるこいつの頭の悪さはどうだ。
しかし、今はこいつの手に頼るしかない。
「わかった。教えてやるよ。」
「ほんと?その証拠のファイル、どこにあるの?」
「お前の家の、でっかいスヌーピーの腹の中だよ。」
「そんなところに!」
「俺とお前の関係を知っている奴はいないから、一番安全な場所だよ。
誰も絶対に気付かねぇよ。」
「そうだね!あんた、すごいよ。」
「わかったら、とっとと先に進むんだ。」
腕に当たる柔らかな感覚は悪くなかったが、時間をかけてもいられない。
俺はルーを金庫の部屋へ押し込んだ。
ルーは少し足をもつれさせたのか、よろけるように金庫の前にしゃがんだ。
「見えるか?」
「うん。大丈夫だから、その明り消して。誰かに気づかれたら…。」
俺はルーの言うとおりに、ダイヤルを照らしていたペンライトを消した。
この部屋には小さな天窓があるだけだ。
書類棚の奥に、でかい金庫が置いてあった。
暗闇の中でジリジリと音を立てながら、ルーがダイヤルを回している。
こんな暗がりの中で、数字を見なくても、感触で分かるのか?
こんな暗がりの中で、数字を見なくても、感触で分かるのか?
隙間をあけておいたドアから漏れる明かりだけを頼りに、俺はルーの背中を凝視した。
いくつかめのジリリの後に、ピン!と金属がはじける音がした気がした。
「開いたっ」
とつぶやくと、ルーがギシリギシリと金庫の扉を動かした。
俺はつかつかと金庫に近づき、まだしゃがんだままのルーの肩を引っ張って、後ろに立たせた。
ペンライトをつけ、金庫の扉を思い切り開き、中を照らす。
驚くことに、金庫の中は札束で隙間なく埋まっていた。
1億か、2億か…。
札束を思い切り握りしめてみると、全身がビリビリと痺れた。
南原の馬鹿野郎、まさか俺にここまでの力があるとは思ってもいないだろう。
ああ、いい気分だぜ。
南原の馬鹿野郎、まさか俺にここまでの力があるとは思ってもいないだろう。
ああ、いい気分だぜ。
「ルー、やったぞ。ボストンを持ってこい。
ありったけ詰め込んで、うっ!」
背中を貫く鋭い衝撃で、全身がひきつった。
思わずのけぞった時、真後ろにいたルーの手が見えた。
まっすぐ突き出されたその手には、オレンジ色の火花が散るスタンガンが握られていた。
「て、てめ…」
次の衝撃は、首筋に来た。
床にあおむけに倒れた俺の意識が遠のいていく。
それでも気を失わなかったのは、カツカツカツと革靴の音がして、部屋の明かりが灯ったからだ。
「パパァ!やったわよ。これでいい?」
「ああ、いい娘だ。ご褒美に、お前の欲しいものを何でも買ってやろう。」
「ありがと、パパ。証拠のファイルはうちにあるんだって。」
「ああ、聞いていたよ。」
「馬鹿な男。
私がパパから捨てられたなんて嘘、ちょっと泣いて見せたらすぐに信じ込んでさ。
強盗までやる気になっちゃうんだもん。
大事な秘密、ペラペラしゃべっちゃって。」
「後は金を運び出して、こいつが盗んだように細工するだけだ。
いい女にも、大人の付き合いにも、金がかかるもんだからね。
税金のかからない金にしておくのが、使い道も豊富ってことだ。
サツに余計なことをしゃべられても困るしな。一石二鳥というやつだ。
サツに余計なことをしゃべられても困るしな。一石二鳥というやつだ。
さ、若い者を呼んでおいで。」
南原に形のよい尻をひと撫でされると、ルーは悠々と出て行った。
ルーを見送った南原が俺を見下ろし、革靴で俺の肩をギシリと踏みつけた。
最後の意識が途切れる間際、南原の声がこう言った。
「馬鹿に見せられる女ほど、怖いものはないねぇ。」
コメント
コメント一覧 (2)
盗んだあと、事故などで死んだように偽装されるのかも。
悪い女に引っかかったばかりに、不幸なことですね。
スタンガンの威力がわかりません。
札束を握りしめているとき、第一陣が来ていましたか?
効かないので強めたのかしらと思いました。
キャッツアイは懐かしいです(笑)
だいぶ前ですが、警察の方が職場に来て研修した時に
痴漢撃退グッズとしてスタンガンを見せていただきました。
電池は抜いてあるのに重たくて、鞄に入れて歩くのはいやだなぁと思いました。
だいたい、アタシなら痴漢も襲ってこないしっ。うふ。
札束のくだりを読み解かれた砂希さんはホントすごい!
全体を通して、ルーの「ためらい」を、見える人だけに見えるよう、描きたかったんです。
なんだか、ウレシイ。気付いてくださってありがとうございます。
最後はふっきっちゃう、悪い女ですけどねぇ