月曜の朝、出勤途上のスミレの顔といったら、これを仏頂面と呼ばずしてどれを呼ぶのかというような表情をしている。
それもそのはず、あれほど胸を躍らせて探した試合のチケットはすでに完売していて手に入らなかったのだ。
ふと思いついて、ネットオークションサイトも覗いてみた。
目指すチケットをみつけ、喜んだのも束の間、なんと5万円の値が付いている。 
スミレはがっかりした。
とても入札する気にはなれなかったのだ。

それに、今日出勤すると、例の転入生がやってくる。
いったい何を思って有名私立小からどこにでもありそうな公立小学校に転入などするのか。
いくら考えても理由がわからないではないか。
過剰な期待を寄せられても、応えることなど到底できないだろう。
そのときの失敗感を想像するだけで、何もしないうちから疲労感が湧きあがってくる。

スミレの仏頂面にはもうひとつ理由があった。
昨夜のことだ。
そろそろ暑い日が出てきたので、半袖のシャツを用意しておこうと箪笥をのぞいていた時、久しぶりに見る服に気がついた。
それが、別れた彼とまだ仲がよかったころ、デートのために迷いに迷って買った服だったのだ。

またぞろ、 あの「言いようのない不安」が胸に湧きおこってきた。
その瞬間、スミレに電撃が走った。
わかったのだ。
スミレは、誰かと親密になるのが怖かったのだ。
怖くて、避けたかったのだ。

年ごろの女性として、彼氏がいることは重視したい点だった。
出会いにも事欠かないし、声をかけてくれる人も後を絶たないから、人選にも困らなかった。
最初のうちは、スミレも夢中になれる。
もっと好きになってもらいたくて、努力もする。
その服が、そんな時期のスミレの気持ちを象徴していた。
普段の彼女なら到底選ばないような、レースのフリルとシュガーピンク。
相手の好みを刺激しようという魂胆がレースの向こうに透けて見えている。

「じゃ、また明日。」
彼氏が当たり前のようにそう言ってくれる時の安堵は、何物にも代えがたい喜びだった。
しかし、時間がたつにつれ、あの不安が頭をもたげてきて、スミレは相手の実際よりも、不安の方に気をとられるようになるのだ。
それは、言葉に置き換えれば「私の言うこと、することを、相手は本当に心地よく思っているのだろうか?本当は不愉快なのに我慢しているのではないか?」という不安なのだと、スミレは気付いた。

その不安にとらわれると、スミレは相手が我慢していないかどうか、必死に探るようになる。
そうして、相手の些細な言動が、スミレを嫌っている証拠のように思えてくるのだ。
確かめたい。でも、はっきりと嫌いだと言われたらどうしようと思うと、言葉にできない。
そのうち、その重苦しさに耐えかねて、いっそ別れてしまいたいと思うようになる。
すると、別れる理由になりそうなこと…それも、相手が原因で、自分は悪くないと思えるような大義名分…が、必ずみつかるのだ。

つきあった相手はそれぞれ、共通点も、脈絡もあまりない。
共通の見た目とか、趣味とか、年齢とか、そういうものが感じられないことにも気付いた。
誰でもよかったの?
スミレは自分に問いかけた。
答えはイエスだ。
自分は目の前の相手ではなく、ただ「前とは違う人」を探していただけだった。
前とは違う性質の誰かなら、違う結果を持ってきてくれるかもしれない。
スミレは自分の期待を目の当たりにした。
しかし、期待に応えてくれようとしていたかもしれない相手を断ち切ったのはいつも自分だったのだ。

駅の改札を抜けて、いつもの並木道を歩きながら、スミレはため息をついた。
「自分が変わらなきゃいけないことは分かってる。でも、どう変わったらいいのか、分からないわ。」
あれほど咲き誇っていた桜が、今は新緑一色になり、その緑も日に日に濃くなっていく。
「木はいいわよね。きっと悩みもなく、季節に合わせて刻々と間違いなく変わっていけるんだから。」
自分のつぶやきが八つ当たりだと分かっているだけに、情けなくて泣きたくなった。

「スミレちゃん、おはよ!」
後ろからチヨコ先生が声をかけてくれなかったら、スミレは本当に涙をこぼしていたかもしれない。
「ん?どうした?具合悪いの?」
「そんなことない。転校生が来るから、緊張してるだけだと思う。」
「そっか。先生が緊張してるんだから、本人はもっと緊張しているのかな?」
「どうだろうね?」

その姫君がやってきたのは、時計が丁度8時を指した時だった。






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