※すっかり長くなってしまったスミレさんの人生の軌跡を終えて、ここから物語が振り出しに戻ります。スタートはどんな話だっけ?と思った方、そもそもスタートは読んでいなかったとおっしゃる方は、下のリンクを押して、最初の20話ほどをざっくりと読んでみてください。 ついつい面白くなって、たらたらと書いております。どうもすみません。
 ★★スタートからちょっと読み直す★★


26歳か。
小学校教員か。
そうして、別れた男は…。
スミレはその数にげっそりした。
どうしても、長く続かない。
簡単に付き合い始めるわけでもないし、気軽に気を許してもいない。でも、続きもしない。
いったい、どうしてこうなんだ?と何度考えても、答えは分厚い雲の向こうにあるようで、一向に見えてこない。

再婚した母のもとで暮らすのが苦痛で、祖父の家で暮らすことにしたスミレは、そこで中学・高校の6年間を過ごした。
祖父は忙しい人で、時折海外も含め、出張に出て帰宅しないことがあったが、そういう時は、父の幼馴染である佐々木夫妻の家に行った。
今日子おばさんは、スミレも一時入所した児童養護施設の施設長をやめ、祖父と一緒に立ち上げたデイケア施設の施設長をしていた。
スミレは今日子おばさんを心の底から好きだった。
年齢を考えなければ、この人がお母さんだったらよかったのにと、何度も思った。
おじいちゃんには内緒だけど、佐々木の家に泊まるときは、よくおばさんのベッドに入れてもらった。
さすがに高校生になってからは布団を並べるくらいにしたけれど、とにかく何でも話せるし、なんでも聞いてくれる。

勉強は、マリアンヌに教わった。
学校の教室で習う授業には、あまり興味が持てなかった。
教科書はつまらない。
でも、マリアンヌがリハビリや診療の合間に教えてくれることは、どれも飛びきり面白かった。
だから、授業はあまりまじめに聞いていないのに、テストの点は悪くなかった。

「要は、教え方次第で教わり方も変わるってことね?」
高校生になって、真剣に進路を考え始めたころ、マリアンヌに言ったことがあった。
「そうね。そういうことだと思うわ。それを知っているスミレちゃんは、いい先生になれるかもよ?」
「そっか。いい先生ね…。」
今思えば、あれがいけなかった。
つい、信じてしまったのだ、自分はいい先生になれる、勉強嫌いの子供を出さないような、ステキな先生になれると!
甘かったなぁ。

東京の大学を選んだのは、別に母から逃げたかったわけではない。
ただ、父が進みたかったという大学に、密かなる興味を抱き続けていたのは確かだ。
母が狂気にあった時期、再三聞かされたから、忘れようにも忘れない。
母からはそれとなく反対されたが、受験したらあっさり受かってしまった。
女子サッカー部が強いから選んだと言い張ったので、父の無念を継ぎたかった本心は言わずに済んだ。
おかげで、父が進みたかった大学で、父がやりたかったサッカーを、私が代わりに続けた。
父は、喜んでくれただろうか。

あの時、家を壊すかという勢いで、祖父が隠した父の写真を探した母が、再婚したとたんに見向きもせずに置いていった写真は、今、スミレの小さなアパートの片隅に、父の位牌と共に置いてある。
生まれて間もないスミレを抱いた若い父と、寄り添う母。
背後には、これでもかと紫陽花が咲いている。
「神戸 頼光寺にて」
写真の裏に、母とは違う文字で書いてあることに、スミレは高校生になってから気がついた。
「笹山のお父さんもいい人だけどね…。」
スミレは今でも、「おとうさん」は自殺して亡くなった哲也のことで、自分の名字になっている笹山の父とは「笹山のお父さん」と呼び分けていた。
本人に向かってもそう呼ぶのを、ミドリは目を三角にして叱り続けたが、当の熊夫は「うん?なんだ?スミレ?」一向に気に留めるふうもなかった。

億万長者になりたいのは、人との関わりを避けたいからだと、心の底で気付いている。
結局、人は私を受け入れてくれない。
心のどこかでそう決めている自分がいる。
だから、人の中にいるのは、ひどく疲れる。
思い通りにならない。
ヒデ君のことなど、最たるものだ。

1年生は大変だ。
子どもたちとの信頼関係はできていないし、どんな子か、親か、それもまだわからない。
すべてが手探り、それも、暗中模索。
同じ学年のもうひとりの担任がチヨコちゃんじゃなかったら…想像するだけでゾッとする。

でも、土曜日は始まったばかりだ。
空が青い。ツバメが飛びまわっている。それだけでいいと思えば、気持ちも軽くなる。
それが現実逃避だということは、重々分かっているけれど、今だけは許して。
スミレは窓から離れて腕まくりをし、掃除機を引っ張り出すことにした。






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