あと1か月でスミレが2年生になるという、3月のことだった。
マリアンヌこと小林幸子のサポートは9月いっぱいで不要になるほど、スミレの成長は著しかった。
1年1組にもあっという間にとけ込み、トコちゃんとのつながりもあって、友達を増やしていった。
そうなると、学校が楽しい。
学力の遅れも、瞬く間に解消された。
学びの初めに、マリアンヌのようなサポーターを得られたことは、スミレにとって本当に幸運なことだった。
学習は楽しいものだということを、スミレの細胞が記憶して、決して忘れることはなかった。
学習とはどうするものなのか、その方法も。

「スミレちゃん、背が高くなったよねぇ。」
「うん。」
「最初に会った時はトコの方が大きかったのに、抜かれちゃったよぉ。」
「トコちゃんももっと背が高くなるよ。」

二人の会話を聞くともなく聞きながら、真理は二人に覚られないようにため息をついた。
これから、トコちゃんは外出する。
その外出に、真理は行かせたくないのだ。

「真理さん、今日はこれを着て行くね。」
トコちゃんが通学に着て行くいつもの服を指さしている。
「それでいいの?」
「いいの、いいの。」
トコちゃんの胸の内が伝わるような気がして、真理はまたため息をついた。

トコちゃんが初めて学園にやってきた日も、何の飾り気もない服を着ていた。
飾り気どころか、薄汚れて擦り切れ、もうずっと洗濯すらしていないことは明らかだった。
学園が開園したばかりで、真理が最初に担当したのがトコちゃんだった。

トコちゃんは児相…児童相談所で一時保護されていたのが、学園への入所が決まり、送り届けられてきた措置生だった。

真理は、児相のケースワーカーからの引き継ぎで、トコちゃんの境遇を知った。
トコちゃんの母親には、知的障害があった。
どこの教室にも一人くらいはいる、おっとりしていて不器用で、何をやらせてもうまく出来ない子。
トコちゃんの母親は、そんな子どもが大人になった人だった。
現在のような特別支援教育の制度が整う前のことだ。
時代も地域も、こういう子どもの存在を受け入れ、人々の間で暮らしていることに慣れていた。

トコちゃんの祖父母は、トコちゃんの母親を溺愛していた。
自分たちが守ってやらなければ、身の回りのことすらうまくできない我が子がかわいくて、かわいそうで、目の中に入れても痛くないという例えの通り、何でもしてやりながら育てた。
しかし、中学を出る頃になると、娘は高校には上がれないと悟った。
学力が追いつかないのだ。
目が不自由だとか、手足が動かないとかいうのなら理解できたかもしれなかった。
けれども、娘のことは、自分たちの育て方がよくなかったのと、この子が優しくてのんびり屋だからだと思うしかなかった。
誰も、他の答えを教えてはくれなかった。
今も健在の祖父母は、そう語ったと記録に書いてある。
確かに、そういう時代だったのだ。
それに、現在のように、誰もが高校に進学するわけでもなく、中卒で家事手伝いをする女の子は世の中にたくさんいた。
花嫁修業をさせていると言えばよいことだった。
かえって、女性が進学することの方が珍しがられる時代だった。

学校を卒業して、いつも家にいるようになってみると、祖父母は俄然心配になった。
いつまでも自分たちが生きているとは限らない。
丁度、家業の生地製造工場が傾き始めたところだった。
外国からどしどし安くて丈夫できれいな布が輸入されてくる。
受注は目に見えて目減りし、先行きに不透明感が漂い始めていた。








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