「愛という漢字を他になんと読みますか?」
真理は看護学生に尋ねた。
「愛ですか?え〜っと…」
真理は学生が抱えていた紙ばさみを借りると、何か書きつけた。
「こう書いて、何て読む?」
「これは…『まなむすめ』です。」
「正解。愛と娘でまなむすめ。ってことは、愛は『まな』と読むわけですよね。
一方で、『まなざし』という言葉があります。
これは、視線とか目つきとかいう意味でしょうけれど、私は愛を差し込む意味で『愛差し』 ではないかと思っているんですよ。」

「愛を差し込む?」
「そうです。私の視線で、私の愛を相手の心の奥深くに差し込むんです。 刺すでもいいかも。」
真理はナイフか包丁を、ドラマの殺人犯がするときのようにグサリと刺すしぐさをして見せた。
「私は子どもたちを注意深く見つめます。
そのたびに、私は愛が彼らに刺さって行くのだと思う。
子どもたちはいろいろなことをします。
時にはしてはいけないことや、危険なこともします。面倒なことも、汚いこともします。
でもね、いい子で大人の都合のよいときだけ見て誉めて、都合の悪い時は見ないでいると、子どもはいい子にしていないと愛されない、と感じてしまいます。」
「でも、それって、いいことではありませんか?どんどんいい子になれるし。」

真理は学生を見上げていた視線を、またスミレの方に戻した。
スミレは小さく身じろぎしたが、まだぐっすりと眠っている。

「いいえ。それが条件付きの愛情と呼ばれるものだと思います。条件付きの愛でしか愛されなかった子どもは、将来裏表のある性格になったり、自信が持てなかったり、不安が強い人に育ちます。だって、私たちは誰でも、よい子なだけではありませんものね。」
学生が答えないので、真理は続けた。

「条件付きの愛情で育った子と、まるごと愛された子どもとでは、物事の判断の仕方も変わってきます。
単純な図式で例えるなら…
例えば、電車やバスの中で大騒ぎをしている子どもに、「いけませんよ。静かにしなさい。」と叱ったとします。
両方ともそれで静かになった。
現象は同じです。でも、子どもたちの内面で起きていることは違います。
まるごと愛されて育った子どもは「ああ、騒いで迷惑をかけてしまったんだな。」と考えています。
条件付きで愛されて育った子どもは「しまった、怒られちゃった、嫌われたかな?」と考えています。
何が違うかわかりますか?」

「はい。まるごと愛された子は、なぜ叱られたのか、原因を考えています。でも、条件付きのほうは、叱られたかどうかが気になって、原因は考えていないみたいです。」
「そう、その通り。一時が万事でこの調子だとしたら、この二人の子供は将来どうなると思いますか?」
「ええっと、まるごと愛された子の方は、いろいろな物事を自分で考えて判断して行動する子になると思います。でも、条件付きの方は、人の顔色を見て、気に入られる方というか、怒られない方を選ぶというか、物事の本質を考えないというか…。」

「そういうことです。人の顔色というのは、相手によって違いますよね。判断基準が外にあると、人は不安になります。正しいかどうか自信が持てません。それに、同じ失敗を繰り返すのは、どちらだと…」
真理が全部を言い終える前に学生が答えた。
「条件付きの方です!」
「だって、相手の顔色ばかりみて、原因に気持ちがいかないってことは、叱られる原因が分からないってことでしょう?同じ失敗を繰り返してしまう可能性が高い。」
「それに、相手によって答えが違うとかいうことにもなるから、だんだん腹が立ってきそう。私は一生懸命やっているのに、あいつが悪いとかいう考え方、こういうところから出てくるのかも。」
「そうか、そういう時の一生懸命って、相手の顔色を一生懸命見ているってだけのことなのに、本人は自覚がないんだね。」

看護学生は二人で議論を始めた。
真理はにっこり微笑んで、学生を見上げている。
陽だまりのような温かな眼差しだ。
その視線には、ここから先は、自分たちで考えなさいね、あなた方ならきっとできるから、という真理の愛がこめられている。

「長谷川さん、今思いついたのですけど…。」
「はい?」
「愛って漢字は、めぐむとも読みますよね。それって目を組むなんでしょうか?」
「目を組む?」
「はい。いろんな人が視線を組み合わせてその子を見ているってことです。ひとりだといくら愛していても見逃してしまうことがあると思うんです。そういう時でも、他の人とか神様とかが視線を組み合わせて、いつでも何でも見守っていてくれる。それが恵みの本当の意味かもしれないなって思ったんです。」

「ああ、素晴らしい。」
幸子は思わずつぶやいた。
その時、後ろから「あ、小林さん。いらしていたんですか?」と声がかかった。
幸子はドキリとして振り向く。
声の主は、施設長の佐々木今日子だった。








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