「私を喜ばせたかったって、どういうこと?」
助手席で身体の向きを変え、真吾のほうを向いた時、スミレに噛まれた左腕がズキンと痛んだ。何もしなくても、その傷は疼いて、重く熱く、存在を訴えてくる。だから一瞬たりとも忘れることができない。
「僕はね、康平君は、君に会いたかったのだろうと思っているんだよ。あの日、初めて一人で顔を洗えたあの日、康平君は一人で君に会いに行って、君を驚かせて、喜ばせて、二人でお祝いしたかったんじゃないかなって。」
「お祝い…。」
「そう。命あることのお祝い。」
真吾がなぜそう思うのかを確かめる前に、そう考えるといろいろなことが腑に落ちる。
なぜあんな時間に歩く練習をしようとしたのかは、いくら考えてもわからないことだった。
でも、練習ではなく、目的があったとしたら…。
4年生というのは微妙な年齢だ。
子ども扱いすると怒りを買うことからわかるように、本人はすっかり大人の気分でいる。
でも、知らないことや思い違いはまだたくさんあって、大人の常識の範囲からは飛び出してしまう。
もう少し大人になれば慎重になるようなことでも、根拠のない勇気を出して乗り越えてしまう。
「康平君が僕に教えてくれた最大のことはね、人を枠組みで判断してはいけないってことだった。」
「枠組みで判断するってどういうこと?」
「小学生だから、子供だから、病気だから…そういう枠組みは色眼鏡になる。その人そのものを見ないと、僕たちは大切なものを見落としてしまうと思うんだよ。」
確かに、その通りだった。
康平君は、さまざまな枠組みにはまらない子だった。
この「子」という枠組みにもはまっていない。
彼の個性はいつも輝いていて、言葉にも表情にも行動にも表れていた。
きっと真吾は、康平君が元気なうちから、そのことに気付き、生身の康平君そのものと向き合っていたのだろう。だから、学校の話や、何か未だに幸子に聞かせてくれないような秘密を共有する関係を持てたのだ。
それにくらべ、幸子は今の今になってそれに気付かされるほど、康平君を枠組みで捉えていた。重い病気の子、不運な子、印象深い子、まだ子どもなのに大人びた子…
いや、それだけではない。
康平君のことだけでなく、誰のこともそんな見方で見てきたような気がする。
スミレにしてもそうだ。
幼児の時から劣悪な成育環境だった子、父親を自殺で失った子、前の学校でいじめを受けた子、身体の発達が遅れている子…。
そういう情報は大切で、それを知った上で本人をよくよく見てみることは、理解を深めることに役立つ。けれども、自分は、情報を得たところで満足してしまい、本人にはさして関心がなく、情報に対して自分がいかにアプローチするかにフォーカスを移して、夢中になってきた。
医師をしていた時からそうだったと思う。
「康平君には教えられてばかりだわ。」
自分の思考を説明することはせず、幸子は左腕の傷を覆ったガーゼをそっとはがして、傷口を覗いてみた。
すでに日がくれた道を走る車の中は暗くて、傷はよく見えない。
けれども、フロントガラス越しにリズミカルに差し込む街灯のオレンジの光が、熱気をはらんだ歯型の奥に潜むスミレの叫びを浮かび上がらせた。
「私を、見て!」
幸子は低く唸り声をあげた。

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コメント
コメント一覧 (2)
32人のクラスは、学年にひとつだけです
小学校4年生の担任は実に衝撃的でした
若くイケメンの担任は体当たりと言いましょうか
何にでも全力で向かってくださり、私たちは男子も女子も担任が好きでした
その後、彼は当時の「特殊学級」担任を買って出ます
発達障害の数人が入るクラスは
とても活気づいておりました
小学校4年生の頃の様々な記憶が思い出されます
小生意気な子どもがいると、親が悪いとかしつけがわるいとか
言われてしまいます。
けど、そういう年頃が確かにあるんですね、周囲とは関係なく。
そんな年頃の子どもに関わる担任教師は本当に大切で、
それがハズレだと、一生の損になりかねないと思うことがあります。
康平君には静江先生がいました。
FREUDEさんにはイケメンがいて、ラッキーでしたね!