幸子が知らせを受けて駆けつけた時、康平君はもう真っ白な布に全身を包まれていた。
すべてが静止した空間に、さらに静止した姿がぼんやりと浮き出ている。
康平君が死んでしまった?さっきまで、笑っていたあの子が??
どうしても信じられなくて、顔にかけられた布をそっとはがし、のぞきこんだ。

その刹那、幸子の背骨の下から2番目あたりの骨がひとつ、だるま落としの駒を飛ばすような衝撃を受けた。
いきなり、両足から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
幸子がよく知っている、ある種の共通した表情を、康平君は見せていた。
康平君は、本当に、死んでしまったのだ。

真吾が駆けつけてきた。
もう帰る時間だったからだろう、カッターシャツにデニム姿で、白衣を着ていない。
「ユキちゃん!」
枕元にうずくまっている幸子に駆けより、肩に両手を置いたまま、真吾も康平君の顔をのぞきこんだ。
幸子の肩に、真吾の震えがそのまま伝わってくる。

そのまま、どれほど経ったのだろう。
パタパタと足音が響き、康平!と叫びながら母親と父親が駆けこんできた。
少し前に面会を終えて帰宅したところへ、知らせが入ったようだ。

真吾は幸子を立たせ、枕元を空けた。
そこへ、母親が飛び込むように入って、康平君の頭を抱き締めた。
「どうして?どうして、こんなことに…。」

ドラマなどで、子どもを失った母がワッと泣き伏す場面がある。
身につまされて思わずもらい泣きをしそうになるが、あれは演出だ。
人は、本当に悲しいことに出会った時、泣くことさえ忘れてしまう。
康平君と、お母さんと、お父さん。
今、この部屋に、三つの悲しい彫刻が並んでいた。

そこから、どうやって病室を出て、どうやって帰ったのかは何度考えても思い出せない。
真吾が家まで送ってくれたということを、後で真吾から聞いた。
そんな夜に限って、家には両親がおらず、真っ暗で無音のリビングに明かりをつけなければならなかった。
そういえば、旅行に行くとかなんとか言っていたようだと、いい加減に返事をしたことを思い出した。

何時だったのだろうか。それも覚えていない。
不意に明るくなったリビングの端には、康平君から預かった白文鳥のマリアンヌがいる。
唐突な人の気配に目を覚ましたのかもしれない。
コトコトと動く音がした。

幸子はマリアンヌのカゴに近づいた。
止まり木にとまったマリアンヌは、いつもと変わらぬ愛嬌をたたえた表情で小首をかしげている。
「マリアンヌ。あのね、康平君が死んでしまったの。」
幸子はマリアンヌにだけ聞えればいいというような、かすれた声で報告した。
「転落事故だったの。なんでそんなことになったのか、まだよく分からない。でも、康平君はもう帰ってこない。それだけは分かってる…。」

マリアンヌは、止まり木とカゴの底とを何度か往復した。
次にひょいと飛び上り、カゴの鉄格子を掴んで、斜めに止まった。
いつもの動きだ。
「分からないよね、そんなこと。マリアンヌには難しいね。」

それ以上、少年が愛した小動物を見つめる気になれず、幸子はカゴを離れて自室に向かった。
リビングの電気をパチンと消した後も、マリアンヌが動き回る気配が背後から伝わってきた。

眠ったのかどうかも分からなかった夜があけ、習慣になった時間に自動的に目を開けた幸子は、着替えすらせずにいたことにようやく気がついた。
仕事はなくなってくれない。
鉛を詰めた袋のように重たい身体を無理やりベッドからひきはがし、階段を下りてリビングに入る。

南向きのリビングには太陽の光が降り注いで、明かりの必要がないほどだ。
両親は当然、まだ帰っていない。
ふと、何か大きな違和感を覚えて、幸子は部屋を見回した。
何かがいつもと違っている。

あ、と気がついて、幸子は磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、マリアンヌのカゴの前に立った。
信じられない光景だった。
白文鳥のマリアンヌは、あのクリクリとした目を閉じ、固く冷たくなって、カゴの底に横たわっていた。







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