有田病院院長専用の仮眠室で、幸子はみじろぎもせずに熟睡していた。
途中、夫の真吾や婦長が様子を覗きに来ていたことにも気付いていない。
康平君の手術後の様子を夢に見ていた。
今までに何百回となく見てきた夢というより回想だ。
その夢の中で、 今、康平君はリハビリに取り組んでいる。
脳というのは不思議なものだ。
機能が失われても、似たような機能を持つ部分が発達して、また使えるようになることがある。
発達を促すためには、身体を動かさなくてはならない。
それが、リハビリだ。
寝ていて動かさない期間が少しでも長引けば、身体は自分が動けることを忘れてしまう。
身体感覚が薄れると、人の機能は様々に低下する。
定価は認知や意欲といった精神面にまで及ぶ。
だから、可能な限り早くリハビリを始めることは、その人の尊厳を守る行為に他ならない。
康平君も、リハビリに取り組み始めた。
もう一度言葉を取り戻すために、康平君に残された機能を精査した言語聴覚士が訓練計画を立てた。
もう一度立ち上がって歩くために、理学療法士がついた。
もともと動いていたものが動かなくなり、動いた記憶をとどめたまま、再度動くように訓練する。
ごくゆっくりとしか成果が出ないそれは、言葉にしようがないほどの苛立ちと徒労感を伴う作業だ。
その訓練に、康平君は懸命に取り組んだ。
時に悔し涙を流し、時にうなり声をあげながら、それでも諦めなかった。
「こんなに優秀な患者さん、いままで見たことがありませんよ。」
言語聴覚士も理学療法士も、頑張りぬく康平君に対し、言葉を尽くして誉めたたえた。
幸子は、自宅に預かった白文鳥の「マリアンヌ」の写真を撮り、康平君の病室に貼り付けるようになった。
すでに、力の限り頑張っている康平君に、それ以上「がんばって」などとは言えなかった。
それでも、何かできることはと考えた。
病室に大きめのコルクボードを持ちこみ、毎晩写真を撮っては、時間をみつけて現像に通った。
できあがった写真は看護婦に渡して、コルクボードに貼ってもらった。
キョトンとした表情のマリアンヌ、眠っているマリアンヌ、そのひとつひとつを、康平君はとても喜んで眺めているらしい。
子どもの回復力とはすさまじいものだと思ったのは、手術から2ヶ月もすると、康平君は自力で立ち上がったり、ゆっくり片言ではあるが、言葉を話したりできるようになったことだった。
手の機能も改善がみられ、自分でスプーンを握って食事ができるようになってきた。
「あーあん」
幸子にはそうとしか聞えなかったが、母親は、
「先生、今日、あの子が『母さん』って呼んでくれました!」
と、涙を流して喜んだ日があった。
幸子が白文鳥のマリアンヌの写真を持って病室を訪れたある日には
「あ・い・あ・お」
と康平君が笑顔になった。
これは幸子にも「ありがと」と言いたかったのだろうと伝わった。
康平君は、手術前、幸子に語った通りの人生を生きているのだと、その時に確信した。
手に入らないものを数えて生きるのではなく、今目の前にある、今すぐにできることに全力で取り組む。
長生きをして母さんを喜ばせることはできないかもしれないけど、今母さんを喜ばせる何かをしたい。
本当に、素晴らしい少年だと思った。
不意に、幸子は眼を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのか分からなくて慌てたが、仮眠室で眠っていたのだと思い出して、ホッとした。
が、寝起きだからか、身体がぼわっと温かく、頭もどこかはっきりしない。
一度おこしかけた身体をもう一度ベッドに横たえると、自分が康平君のことを思い出しながら眠っていたことを思い出した。
「康平君。。。」
幸子は思わず呼びかけた。
天国の康平君に、私の声は届いているのかしらと思いながら。

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コメント
コメント一覧 (2)
ツラいリハビリにも精を出したのに、何があったんでしょう。
マリアンヌは文鳥だったんですね。
私は真っ先に、ジャッキー・チェンの歌を思い出しましたが。
私の職場にも、院長の仮眠室がほしい(笑)
ジャッキー・チェンの歌??
もしも私がそれを知っていたら、康平君はその歌から文鳥に名前をつけたのかもしれません。
でも、大分雰囲気が違う…
私の職場にも院長の仮眠室がほしいです。
できれば複数作ってほしいです。
その前に、職員トイレを洋式にしてほしいです。