康平君の手術は成功した。
難しい手術で、長い時間がかかったが、腫瘍は取り除かれ、命の危険はなくなった。
しかし、康平君の四肢にマヒが出た。
言葉もうまく出せなくなっていた。
医療ミスではない。
これは、脳の手術をするにあたって予測できる範囲のリスクだったからだ。
あまりにも残酷な結果だった。
脳外科病棟から小児科病棟へ戻ってきた康平君に、幸子はなんと声をかけてよいか分からなかった。
腫瘍のせいで歩けないことはなくなったはずなのに、康平君の足は体重を支えて立つことができない。
一人でモリモリと食べていた食事は、介助を受けなければ口元に運ぶことすらできない。
固形物は飲み込む時に喉に詰まる可能性があるからと、流動食を摂っている。
何より、大人でも考え付かないような聡明な思いを流暢に語っていた口は今、うなり声を出すだけで、言葉にならないのだ。
幸子が初めて手術後の康平君を見舞った時、康平君は幸子をじっと見つめると声もなく、真珠のような大粒の涙をボロボロとこぼした。
幸子は、その涙の意味を量りかねた。
再会を喜んでくれているのだろうか。
こんな身体になったことを嘆いているのだろうか。
こんな身体にした医者を恨んでいるのだろうか。
運命を呪っているのだろうか。
「お帰り、康平君。」
自分も医師のはしくれなのに、気の利いた言葉はひとつも出てこなかった。
その頃、真吾の方がもっと苦しんでいた。
真吾は詳しく話してくれないが、真吾も何事か、手術前の康平君と話し合い、胸に深く感じたことがあったらしい。
幸子と食事に行った夜、真吾は食欲がないといって、注文したくせにラーメンにはほとんど手をつけなかった。
「僕は、とんでもないことをしたんだろうか。」
「そんなことない。手術は成功したんだし、執刀医はシンゴじゃないし。」
「そういうことじゃないよ。」
珍しく、真吾はひどく苛立った声を出した。
「脳外科的には、あの手術は成功だった。
僕たち脳外科の医者は、手術をしたら終わりだ。
けど、本当にそうなのかな。それでいいのかな。
康平君に会っただろう?
動いていたはずの手が動かなくなり、あれだけ話せていたのに声も出せない。
リハビリすれば、いくらかは回復するだろうとは思う。
けど、麻痺が全部なくなるとは…。
彼の生活の質は、手術前よりずっと落ちることになる。
なのに、僕はこれからも続く彼の生活には無関係なんだ。
彼の生活の質を落とした責任者の一人だというのに。
僕は、どうやって康平君に責任をとったらいいのだろう。」
大学病院で働くことの意味は、高度な治療を施すことと研究にある。
研修医が終わっても大学病院に勤め続けることを選べば、臨床のほかに、康平君のようなことにならない手術の方法を研究することもできるはずだ。
しかし、真吾はいずれ、松本になる父の病院を継ぐことになる。
長野に東京と同じくらいの技術を持った脳外科医がいてもいいじゃないかと思っていたが、康平君の存在はその思いに大きな疑問を投げかけていた。

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コメント
コメント一覧 (2)
尚更に苦しかったことでしょう
私は書きながら涙をこぼすことがよくあります
この種の葛藤は
誠実な医師の多くが味わうのでしょうね
手術したのが、はたして、成功といえるのだろうか?
つらいですね!