「僕はね、たどりついたんだよ。答えに。」
何の?と思わず尋ねてしまった。
この少年の言葉は幸子の胸に一滴残らず沁み込んでくる。
この少年の言葉は幸子の胸に一滴残らず沁み込んでくる。
「僕はどうして生まれてきたのか。どうやって生きていけばいいのかだよ。」
そんな疑問に答えられるの?
幸子は少年の青白い顔を覗きこんだ。
手術に備え、髪をすべて剃ってしまっているので、青白い顔にもっと青い頭がつながっている。
その姿は澄み切っていて、既に悟りを開いた菩薩のようだ。 その表情と、新幹線がたくさんついたパジャマとの取り合わせがちぐはぐで、目に焼き付いてしまう。
「僕のことを気の毒だとか、かわいそうだとか言う人がいるんだ。
お子さんが重い病気だなんてお気の毒ですって、母さんに言うヤツ、ほんと憎いよ。
中には僕に直接言う人までいるんだ。
デリカシーないよなぁ。
僕は、そう言われるといつもすごくイヤな気持ちになる。
だって、ちゃんと歩いたり走ったりして、学校行って勉強している人が本当で、それができない僕はダメだからかわいそうってことでしょう?
だけどさ、僕は、僕のこれが僕なんだよね。
かわいそうでもなんでもないよ。
けど、他人に平気な顔してお気の毒〜っていう大人には、僕の気持ちなんか全然わからないんだよ。
あんな大人にはなりたくないな。
って、大人になれるまで生きていられるかわからないけどさ。
ほら、大人ってさ、子どもの可能性は無限ですとか言うでしょ?
あれって、嘘だよね。
可能性だなって気付かなければ、可能性にはならないし、
気付いても実際に手に入れなくちゃ、気付かないのと同じ結果でしょう。
結局さぁ、今できることが、今の可能性なんだよね。
だったら、僕には元気に走ったり、毎日学校通ったりできないからって、可能性が少なくて損しているわけじゃない。
元々ないものは、なくしようがないからさ。
今僕に出来ること…こうやって話したり、笑ったりすることも…それが僕の可能性なんだ。
だったら、それを一生懸命すればいいんだよね。
僕は長生きをして母さんを喜ばせることはできないかもしれない。
でも、そんな先のことはどうでもいいんだ。
今、母さんを笑わせればいいんだよ。
それなら僕にもできる。
過去にあった悔しいこととか腹が立ったこととか、悲しいこととか、そういうことも、どうでもいいんだ。
だって、過ぎたことはもうどうにもできないからね。
今できることをやる。
それって、今生きている人全員に平等だよね。
誰もかわいそうじゃないし、損もしてないし、気の毒でもないよね。
僕は、生きている間中、今できることを一生懸命しようと思うんだ。
ねぇ、ユキちゃん、それでいいかな。いいよね。」
いいよね、と笑った顔の康平君をありありと思い出したマリアンヌは、思わず声に出して「うん。」と答えていた。
交差点を左折した先に、真吾が勤める有田病院が見えてきた。
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コメント
コメント一覧 (4)
生きる価値だとか親の存在価値だとか
当時の私には論点でした
だんだんそんなことを考えなくなったことを記憶しています
自分が生まれてきた意味。
親や姉妹との関係。
人生とは何か。
今にして思えば、自分と向き合う貴重な時間だったのかも。
病人には、どんな言葉をかければいいのか迷います。
根拠のない励ましや、無神経な同情は鬱陶しいですね。
ただ、普通の会話をすればいいと思うのですが。
生きる価値について考えないのが、一番の幸せなのかなと思うことがあります。
でも、何も考えないで生きているんじゃないかと思われる人を見ると腹が立つので
どっちがいいのか考えものです。
病気=悪いもの=なくしてしまえ
と世間一般では思われているようですが、
病気は身体の言語だと思う私にとって、
単に口を封じさえすればいいものではないように感じます。
根拠のない励ましは笑顔で受け流せても、
無神経な同情は本当に鬱陶しいですね。
おかげで「お気の毒」という言葉とそれを平気で言う人が大嫌いになりました。