幸子の研修医生活が後期に入るころ、幸子は康平君と初めて言葉を交わした時に彼が言ったことの真実味を思い知らされていた。
連日、重篤な子どもたちが入院してくる。
健康を取り戻す子どももいるが、亡くなる子どもも少なくない。
初めて自分が担当した子の命が途絶えた時、二度と診療などできないと思った。
が、休む間もなく次の患者がやってくる。

次第に、誰が元気になっても感動することもなく、どんなに幼い子が亡くなっても心が痛まなくなった。
悲嘆にくれる日々を送っていた頃には、いっそ何も感じなくなったら楽だろうにと思ったものだが、実際に感じなくなると、今度は生きている気がしなくなってしまった。
何を食べたか、何を着たかなど、どうでもよくなった。
休みもほとんど取れなかったが、それを苦痛に思う気持ちもわかなくなった。 
医師とはそういうもので、ひとりひとりの患者の生き死にに動揺していてはならないのだと考えるしかなかった。

それは、脳外科で研修医をしていた真吾にしても同じだった。
患者を診ているのか、腫瘍を診ているのかわからなくなった。
それでいいのだと、言い聞かせて1年を送った。

それでも二人の恋愛関係だけは続いていて、忙しい時間を合わせて、ふたりで食べるラーメンと他愛ないおしゃべりが、最高の憩いだった。

幸子が初めて会ってから3度目の入院をしていた康平君の病室で、真吾と幸子が顔を合わせたのは、偶然のことだった。
いよいよ大きくなった腫瘍に脳が圧迫されて、康平君はもう一人では歩けなくなっていた。激しい頭痛や吐き気が続き、手術する以外、道はなくなっていた。その診断がおりるまで、康平君はいつものように小児科病棟に入院していて、幸子の指導医が担当していたので、幸子もよく病室に通った。執刀医が、真吾の指導医に決まった。真吾も手術スタッフに入る。
手術の日程が決まれば、康平君は脳外科病棟へ移る。

疲れすぎていたのだろう。
康平君の前で、真吾が思わず、プライベートの時だけに使う呼び名で、幸子を呼んでしまった。
「ユキちゃん。」
それだけで、敏い康平君は、2人の関係を悟ってしまった。
「で、ユキちゃんは小林先生のことをなんて呼ぶの?」
「し…シンゴ。」
「ふうん。ふふっ。いいねぇ。」 
その日から、康平君は「ユキちゃん、シンゴ」と呼ぶようになってしまった。 







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