「佐川さんは何科を目指すの?」
「小児科にしようかと思ってる。小林君は?」
「僕は脳外。減ってきてはいるけど、日本人の死因の第一位は脳卒中だろ?僕は、そこに向き合いたい。佐川さんはどうして小児科?」
児童公園から真吾の下宿に向かって歩く途中に、こじんまりした喫茶店があった。珈琲と、生クリームをたっぷり使ったミルフィーユが美味い。二人で同じものを注文した後、真吾が何気なく尋ねた問いかけに、幸子は少し言い淀んだが、何か決意したように語り始めた。
「私ね、中学2年のときに手術を受けたの。子宮筋腫の摘出だった。わりと大きな筋腫でね、でも、なかなか原因が分からなかったの。お腹は固いし、おねしょはするし。そのうちひどい腰痛が出たのね。小児科から始まって、内科に泌尿器科、整形外科、いろいろ行ったけど、 全然原因が分からない。で、母がね、一生懸命調べてくれて、もしかしたら婦人科じゃないかって気がついて。そりゃ、お医者さんも中学に入ったばかりの子どもに子宮筋腫は疑わないわよね。でも、おねしょや腰痛は、筋腫が周囲を圧迫するから起きていたのよ。
原因が分かってからも悩んだわ。全摘手術となったら、中学生で子宮を失うのよ。将来の影響を考えたら、簡単に決断できることではないわ。両親も本当に苦しかったと思う。最初に夜尿が始まったのは小学校の時だから原因がわかるまで2年かかっていたし、 手術の話が出てからも半年近く決断できなくて。育ち盛りだから、身体も成長するし筋腫も成長する。半年後にはもう悩んでいる場合ではなくなっていたの。
母も私も、全摘しかないんだと思ってた。でも、違ったの。手術をしてくれた先生は、筋腫だけを取って、子宮は温存してくれたのよ。当時としてはあり得ない選択だってこと、あなたもわかるでしょう?大変な手術だったけど、成功した。おかげで私はおねしょからも腰痛からも解放され、中学生らしい健康を取り戻せたの。けど、妊娠・出産は、可能性は残っていると言われているけど、きっと難しい。
その時よ、医者になろうと決めたのは。手術をしてくれた先生にも感謝しているし、同じ仕事をと思ったこともあったけど、 勉強しているうちに考えが変わったの。もしも、最初に診察してくれた小児科の先生が私の病気の正体に気付いてくれていたら、もしかしたら薬で治せたんじゃないかって思った。そしたら、私の人生は別のものになっていたかもしれないって…
だからね、私、子どもたちの未来に希望をつなぐ、腕のいい小児科医になろうと思うんだ。」
深刻な話のはずだったのに、真吾はすんなりと受け取った。
話の途中で出てきた珈琲にミルクだけ入れて飲むのも同じなら、ミルフィーユにフォークを入れるタイミングも、フォークをたてる位置まで同じだった。
個人的な話をするのは初めてのことなのに、互いに何でも話せてしまう。
相手の言葉がお互いを遮ることもない。
気がつけば、3時間も経っていたが、二人には30分ほどにしか感じなかった。
3月には二人とも無事、国家試験に合格し、附属病院で研修医生活が始まった。
巨大な組織、際限なく押し寄せる患者に圧倒され、翻弄される毎日だった。
そこで、幸子と真吾はふたりの将来を左右する少年に出会うことになる。
スミレに噛まれた腕の傷を消毒するために真吾の病院へと車を走らせながら、マリアンヌは「佐川幸子先生」と呼ばれていたころの自分と、その少年のことを思い出していた。
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コメント
コメント一覧 (2)
こんな夢を持ってなられた、と信じております
すばらしいことですね
やがて経営の都合とかに歪められることも多いのですが
命をかけて初心を貫かれる方もいらっしゃいますね
かつて私のクラスから医師になった人は
今、離島の医療に勤しんでおります。
夢を見続けるには力が必要。
見事なものだと思っています。