たった半日で、スミレはいくつものひらがなを覚えた。
身体を動かして知ったことは、紙の上に戻っても容易に薄れないし、間違えない。
体育館の床にマリアンヌがスズランテープではった文字を舞台から見てはモップで描く。 
教室に戻り、プリントを見せられたスミレは、迷いなく先程モップを持って体育館の床に描いたひらがなを書き出した。書き順も、はらいや止めの特徴も、たがえることがない。
 
この積み重ねで、スミレはひらがな、カタカナをあっという間に習得することになる。
 

2学期4日目。
月曜日から始まった2学期も、木曜日になり、いよいよ給食が始まる。

8月の終わりのことだった。 
スミレは同室の1年生であるトコちゃんに教わりながら、給食袋を用意した。
松葉が丘小学校では、給食当番だけでなく、全員がかっぽう着を着ることになっている。
白と決まっているかっぽう着だが、ママたちはポケットに何かアップリケをして、間違えて持ち帰るのを防ぐことにしていた。
トコちゃんが見せてくれたかっぽう着のポケットには、赤いチューリップが縫いつけてあった。

「スミレちゃんはどうする?」
真理に聞かれて、スミレはキティちゃん!と即答した。
学園の子どもたち用に、白のかっぽう着が何枚か用意されていた。
あとはアップリケをつければよいだけだ。 
その答えを聞いて、真理はふと思い出したようにスミレの荷物を広げ、ガサガサと探し物を始めた。
「あ、あった!」

真理が整理ダンスの隅から引き出したのは、白くて糊のきいたかっぽう着だった。ポケットにキティちゃんのアップリケがしてあり、反対側のポケットの口には、鮮やかなピンクの刺しゅう糸で『スミレ』と縫い取りがしてある。小さなすみれの花の刺しゅうと共に。

「あ!」
スミレも思い出したようだ。
それは、祖母がせっせと準備してくれた入学道具のひとつだった。
一度か二度着ただけだったので、スミレはすっかり忘れていた。
真理は、それを引き出すことで、スミレが前の学校で受けた仕打ちを思い出すのではないかと恐れたが、祖母の手縫いのかっぽう着は、できれば温かな思い出として大切にしてほしいとも思った。

トコちゃんが気づいて、駆け寄ってきた。
「うわぁ!すごい。かわいいね。」
「どうせ真理さんは裁縫が苦手ですよっ。ごめんね、トコちゃんのチューリップはかわいくなくて。」
真理はわざと膨れて見せた。
「そんなことないよ。チューリップもかわいいよ。でも、スミレちゃんのキティちゃんはほんとにかわいいね!着てみて。」

トコちゃんにかっぽう着を手渡されて、スミレははにかみながら袖を通した。
「おばあちゃんがね、つけてくれたんだよ。」
スミレの目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「そう。おばあちゃん、ありがとうだね。大事にしようね。」
真理に言われて、スミレはコクリとうなずいた。
「おまもり。」
どこで覚えたのか、スミレはそんなことを言いながら、ポケットのキティちゃんを撫でた。

涙をぬぐってトコちゃんと手をつなぎ、遊びにかけだす二人の背中を見送りながら、真理はスミレが脱いだかっぽう着を手にとった。
どうしてママじゃないの?とか、どうして泣いているの?と尋ねないトコちゃんを、いつもながら大人だなぁと感心しつつ、スミレが脱いだかっぽう着を、いつもより丁寧に畳んだのだった。 






ポチッと応援お願いします