たいがいの小学校では始業式翌日から給食が始まることはない。 
松葉が丘小学校も同じだ。 
登校2日目、ほかのクラスは大掃除などをして半日の日課を過ごすのだが、たんぽぽ学級では、担任二人と支援員、それからマリアンヌと、スミレが将来所属するはずの1年1組担任・矢口先生で相談の末、この日はプールに入ろうということになっていた。

たんぽぽ学級の担任は、誰から見ても、どこから見てもデコボココンビだ。
ベテランの大岡先生は、名前は体を表すとでもいうように、時代劇の『大岡越前』に出てくる加藤剛にそっくりな美中年だ。子どもたちは大岡先生が怒ったところを見たことがない。スラリと背が高く、通った鼻筋、涼しげな目元、サラサラと音を立てそうに整えられた白髪一つない黒髪は、同僚だけでなく、たんぽぽ学級のお母さんたちにも絶大な人気を誇る。高校の時からサッカーをしてきたということで、細身の身体にはしなやかな筋肉がついている。低く通る声も魅力的で、保護者懇談会の時は、目を閉じて声だけ聞くのもいいのよなどという軽口がお母さん同士、真顔で語られたりする。

しかし、怒らない、というのは、たんぽぽ学級のような特別支援の世界では、必ずしもいいことだけではない。
カッとして暴力をふるうなどはあってはならないが、いつも笑っているのもダメなのだ。間違ったことや危険なことをした時、教師は子どもたちが五感で「ああこれはしちゃいけないんだ」と分かるように伝えなければならない。特に、障害の種類によっては、相手の気持ちを想像する力が育ちにくい子どもがいる。そういう子どもたちにとっては、笑いながら注意されても、いけないことだと理解できない。怖い顔、怖い声を出して、短くきっぱりと「いけません」と伝える演技力は、たんぽぽのようなクラスの担当者には不可欠なのだ。
もっとも、表情だけ怖くしてみせても気づかない子どもが多いのだが…。

そんなわけで優しさ一辺倒の大岡先生は、ときどき子どもたちに舐められてしまう。
そこで若い江夏先生がいい味を出す。
神様はなんとも絶妙の出会いを設定したものだ。

江夏先生のあだ名は「ドラえもん」だ。
本人はこのあだ名がよほど気に食わないらしい。
6年生と大差ない身長に、標準値を潔いほどオーバーした体重は隠しようもなく、汗っかきで、いつも首にタオルを巻いている。しかし、「なんだよ、ドラえもん!」などと言われた時の機敏さと言ったらない。丸い体であっという間に子どもに詰め寄ると、「なに〜っ」とすごむ。その顔の怖いことと言ったら、なまはげも泣きながら逃げ出すに違いない。

大岡先生のいうことに子どもたちが逆らって、ああだこうだと騒ぎになると、決まって江夏先生がコラァ!が出る。すると、蜘蛛の子を散らすように子どもたちが逃げていく。その恐ろしい顔を見ると、大岡先生も思わず一歩は逃げてしまう。しまった、また逃げてしまったと反省するのだが、何度見ても慣れることがない。自分の子どもとそれほど年の違わない江夏先生を見ては、ああ、このお嬢さんは嫁に行けるだろうかと心配になり、このお嬢さんを嫁に貰ったら…と相手の男に同情せずにはいられない。

この大岡先生と江夏先生にはとんでもないドラマが待ち受けているのだが、それは今回語りきれないかもしれない。 

支援員の田端さんは今年初めて学校現場に立った男性で、3月までは長距離トラックの運転手をしていたという変わり種だ。若いようなそうでもないような、年齢不詳の見た目をしている。エッサエッサエッサッサと応援するのが有名な体育大学を卒業していて、高校体育の教員免許を持っている。でも、高校ではなくて、どうしても小学校の先生になりたかった彼は、大学を出てから通信教育で小学校免許を取得したそうだが、採用試験にはどうにも受からないらしい。とうとう食うに困ってトラックの運転手をしていたという。

高校の時から大学までずっとラグビー三昧で鍛え上げたポパイのような腕の筋肉を、子どもたちに乞われるたびに筋立てて見せ、歓声を浴びている。その時のナルシスティックな表情をみると、江夏先生はなんだかイライラするらしい。きまって例のコラァ!が飛び出すので、田端さんは子どもと一緒に逃げている。身長が180センチもある田端さんにとって、150センチそこそこの江夏先生は、いまや過去の対戦相手のどの選手よりも恐ろしい。

新人ゆえに、田端さんはこの教室の個性的な子どもたちをどうしたらいいのかさっぱり分からずにいるが、カンどころは悪くないようで、担任の手薄なところを見つけては、機敏に動く。特に、教室から逃げ出そうとする子どもを捕まえるのがうまかったので、担任からは、なくてはならない存在として頼りにされているのだ。

ここに、いつも静かな笑顔を浮かべてやわらかな印象のマリアンヌが加わって、いつもにぎやかなたんぽぽ学級は1学期以上に活気を増した。

プールバッグを抱えて登校したたんぽぽの仲間たちは、朝の会を終えると、待ちきれないようにバッグを肩にかけた。マリアンヌに言われるままに昨日ふくらませたバランスボールを転がして押しながらプールに向かった。いったい、このボールがプールでどうなるのだろうか。






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