「娘には輝美と名づけました。太陽のように輝いて、心も身体も美しい女性に育ってほしいと、夫と話し合って決めたんです。いい名前でしょう?
娘に心臓疾患があると分かったのは、生まれて間もなくでした。本当は、お腹にいた時から言われてはいたのです。でも、きっと大丈夫だ、生まれてみたら間違いだったとわかるって、私は信じていました。生まれてから間違いないと分かっても、大きくなればきっとよくなる、私がよくしてみせるって。そう信じられたのには理由がありました。」

祖父は、だまって話を聞き続けた。真理の言葉が途切れたので、ふと視線をずらすと、グラスの麦茶の氷が解けて、びっしりと汗をかいている。コースターに沁みがつかないかと思ったが、そのままにして、真理に視線をもどした。

「私には弟がひとりいます。弟も、生まれつきの心臓疾患を持っていたのです。生きるか死ぬかで生まれてきて、すぐにお腹をこわしたり熱を出したり。ちょっと風邪をひくと肺炎になるし、喘息にはかかるしで、それはもう大変な子でした。病気で身体に負担がかかると心臓も弱ってしまって、両親は、弟が生まれてから、全ての力を弟に注いでいるようでした。

とはいえ、弟とは2歳しか違わないから、そんなに記憶があるわけではないのです。けど、記憶があるのは、入院している弟のところへ母が行ってしまって、私はいつもひとりで留守番していたこと。夏休みにも、他の子のように海や山に家族で遊びに行くなんてなかったし、遊園地なんて言葉さえ出ませんでした。弟はいつも病気で、母はいつも疲れていて、父はいつもイライラしていました。

私は弟が大好きなんです。元気になってほしいといつも思っていました。弟が家にいる時には、いつもだっこしたりおんぶしたりして、遊んでいました。なかなかおむつがとれなくて、幼稚園の私が、弟のおむつを替えていたんですよ。両親は、私が運動会で1等賞になっても、勉強を頑張っても全然関心がなさそうでした。ほめてもくれません。けど、家事を手伝ったり弟の世話をしていると、そのことは誉めてくれました。

母は、私自身ではなくて、母の役に立つ人としての私にしか関心がないのだろうと思いました。 家の中はすべてが弟中心でした。私はいてもいなくても同じだと感じていたんです。
さみしかったですよ。
でも、言えませんでした。だって、弟だって好き好んで病気になっているわけではないし、両親も必死なのは分かっていました。だから、もっと私を見てとか、私と話してとかいうのは、ひどいわがままのような気がしたんです。

弟は、小学校に上がる前に、何度目かの大きな手術を受けました。多分、父はその時大きな借金をしたのだと思います。輸血が必要だったから、母は違反すれすれなほど頻繁に献血を繰り返して、献血手帳を手に入れようとしていました。身体に血が足りなくなって体調を崩していました。同じように献血を繰り返していた父は、それでも足りないとわかると、職場の人に頭を下げて回って、献血手帳をもらったそうです。そうしないと、輸血にお金がかかり、それを支払うことができなかったのだと聞きました。

弟の手術は成功しました。成人を迎えるころには、弟はすっかり健康になったんです。今も元気に働いています。両親は頑張った甲斐があったと、今でも時々話しています。私も思うんです、本当に寂しい子ども時代だったけど、我慢してよかったって。でも、そんなふうに思えるようになったのは娘を授かった後のことで、思春期の頃は悩みました。常に親の役に立とうとするのに疲れて、高校の時は体調を崩しました。学校に通えなくなるほどに。」






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