スミレがもみの木学園に戻る時間になった。
学園の門前で、隆三と握手をしてまたね!と言ったスミレに今日子と祖父が付き添った。
今日子が先に入り、真理を呼ぶよう言ったようだ。
そのまま、施設長室に入ってしまった。

祖父は、この敷地に入ると、いつもハッとする。
今日子が仕事の顔になるのだ。
さっきまで一緒に飯を食っていた、幼なじみ(?)の同級生・シスター今日子が、孫を預かってくれている巨大な養護施設の施設長の顔になる。姿勢や歩き方、話し方、声のトーンまで変化する。それは、ニコニコと穏やかにふわりとした印象だった高校生とは違う、自分の知らない今日子なのだ。 

ふと、「妻も、こんなふうに別の顔を持っていたのかな。」と祖父は思った。

スミレは慣れた様子で靴を履き替えると、「じゃあ、またね!」と手を振って、自分の部屋があるらしい方向へと走って行ってしまった。
その後姿には、微塵の未練もない。
べそをかきながらキティちゃんを抱えていた日のことを思い出すと、わずか4ヶ月ほどで、ずいぶん大人になったものだと、改めて驚かされた。

施設の玄関を見まわす。
子どもたちの手書きだと一目で分かるポスターが貼ってある。
「夏祭りにきてね!」
もう期日は過ぎている。
お兄さんやお姉さんがお店をしたの。
焼きそばやお好み焼き作ってくれた。
金魚すくいもしたんだよと、スミレが話してくれた縁日とは、この施設内でのお祭りだったようだ。

「来てやりたかったな。」
独り言を言った時、真理が向こうから小走りにやってきた。
「星川さん。わざわざ!」
祖父が礼を言う前に声をかけられ、祖父は少ししまったという気がして、目を泳がせた。
「とんでもありません。このたびは、スミレが…」
祖父が頭を下げる前にサッとスリッパを差し出すと、「あちらでお話ししましょう。」と、真理は祖父に礼を言わせなかった。

小さくて静かな部屋だった。
刑事ドラマで見る取調室程度の大きさなのだろう。
中庭に面した通常サイズのサッシ窓の向こうに、サンダルが置いてあるようだ。
大きな会議テーブル1つに、折りたたみではない椅子が6つ。
祖父が来るのを待ち構えていたように、ゆるく冷房がかかっており、除湿された部屋は快適で、思わずふぅと大きく息を吐き出した。

祖父を部屋に案内して、わずかに席を外した真理は、お盆にいかにも冷えた麦茶を用意して戻ってきた。
テーブルにまず置かれたコースターを、祖父は覗きこんだ。
細い紺と白の糸が、きれいな幾何学模様を浮き上がらせている。しかし、どこか手作りの雰囲気が漂っているのは均一というわけではない織り目から感じるようだ。

祖父がコースターに見入っているのに気付いた真理は、どこか自慢そうに説明した。
「ああ、これは、高等部の子どもたちが学校で織ってきたものですよ。」
「織って?織るって、ぱったん、ぱったんというあの機織りですか?」
「そうです。こんなに真っ直ぐに同じ幅で織れるようになるには、それなりの集中力と技術が必要なんです。私も一度やらせてもらったことがあるのですが、2〜3センチでもグネグネと幅が変わったり、詰まったり緩んだり。邪念がそのまま出ているようだと笑われてしまいましたよ。」
真理が明るく笑い飛ばす。

「ん?今、高等部と言われた?どこかの私学に機織り部があるんですか?」
「ああ。いえ、違います。高等部とは、養護学校の高等部ということです。」
「養護学校?」
「はい。もみの木学園には障害のあるお子さんたちも入所していることをご存知ですか?」
「聞いています。」
「このコースターは、知的障害があってご家庭では生活が困難なのでこちらに入所している16歳の男の子が織ったのですよ。」
祖父は目をみはった。






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