祖父とかあさん、オーナーの3人は、祖父が持参したお祝いのシャンパンをあけて、乾杯した。
細かな気泡が、グラスの底の中心から幾筋も立ち上る。
よく磨かれたグラスが、シャンパンの味を極上のものにした。
 
かあさんは、ミドリよりもさらに若く見える。
ここのオーナーは哲也のようにはならないだろうが、人間、途中でどうなるかは分かった物ではないと思う。
それだけに、祝える時に祝えることを大切にしてやりたいと、心から思った。
なんといっても、プロポーズの瞬間の立会人だからな。祖父は思い出し笑いにうごめく頬を微妙に引き締めた。

かあさんが、祖父の仕事のことをそれとなく尋ねるので、祖父は、今日部下が結んできた大きな契約があったこと、それがどれほど大変な道のりだったか、自分が仕事に没頭できる状況でなかったにも関わらず、それぞれが力を出し合ってくれたこと、部下たちが立派に成長したことを誇らしげに語った。そんな祖父を、かあさんは目を細めて見ている。

「若奥様がこんな話に興味を持つなんてね。」
祖父がからかうと、かあさんはコロコロと鈴が鳴るように笑って、
「からかわないでください。だって、ドキュメンタリードラマを観ているようで。いくらでも伺いたいくらいですわ!」
「でも、そろそろ失礼しないと。新婚さんの夜を邪魔するような野暮はしたくないからね。」
お互いの顔を見合わせている2人の前に、そっと1万円札を置く。

「あ、今、お釣りを!」
素早く立ち上がった祖父は、もう扉に手をかけている。
「釣りはとっておいてと言いたいところだが、君たちは受け取ってくれなさそうだから、次回の食事代にしてもらおうか。かあさん、スミレみたいに特別チケットをくれるか?

いや、本当は長野のスミレのそばにミドリと共に引っ越して、一緒に暮らしたいのだが、今の会社ではなかなかそんなわがままも言えない。あと何年かで定年だから、それまで辛抱するしかない。だからまた、寄せてもらうよ。じゃ!」
祖父はカッコよく手を振って、店を出ていくつもりだった。

ガチャッ。ドンッ。
扉が大きな音を立てる。開く前提で一歩踏み出した祖父は、派手な音を立てて、閉まったままの扉に額から激突した。
「うわっ!」
 
オーナーが両手を前に突き出しながら駆けよった。
「す、すみません!もう他のお客様はお断りしようと、先程鍵を閉めたんです!」
「な、そうだったのか。なんと…みっともないことは何ひとつしたくない主義なんですがね。」
額をさすりながら言う祖父が笑いだすと、見ていた二人もつられてしまった。
3人は盛大に笑い合った。

血が出ていないか額を撫でた指を確認するのに気をとられている祖父はこの時、まさかこのシャンパンの夜が自分の人生の流れを変えるとは知る由もなかった。 






ポチッと応援お願いします