スミレが、殴られている母親を以前は庇っていたのに、途中から押し入れに隠れて見ないようになり、今では部屋の隅で膝を抱えて見ているようになったのには、当然理由がある。

スミレはママが大好きだった。
何も特別なことではない。
子どもがママを好きなのは当たり前、といっていいだろう。

いくつかの先天性脳機能障害は、人生で最初に出会う、最も愛着を示してよいはずの母親に愛着を示せない。
眼で追うことも、抱かれて安心することもできない。
母親を嫌っているのではなく、脳のはたらきが愛情を表現することを許さないのだ。

しかし、母親といえども、生みさえすれば何もなしに海より深い愛情が無条件で湧いてくるものでもない。
目は見えているはずなのに、自分の方を見ようともしない、
名前を呼んでも反応がない、
抱きあげれば嫌がり、泣き叫ぶ、
そんな赤ん坊を見ていると、愛情を感じられなくなってしまっても無理はない。

育てにくい、と感じる。
つらい、と感じる。
努力すればするだけ焦りとストレスが募る。
何かの拍子につい、手が出る。
つい、きつい言葉で叱ってしまう。
こうして始まる幼児虐待はかなりの数に上るようだ。

幸運にもスミレはこのサイクルにははまっていない。
パパに殴られるママはかわいそうだった。
パパはあんなふうに怒らなければいいのに。

でも、真っ赤な顔をして、暴れる父親を見ているのは本当に怖い。
今度は自分が叩かれるのではないかと思うと、怖くてたまらない。
だから、押し入れに隠れることにした。
最初のうちは、押し入れは安全地帯で、ここなら大丈夫という気がした。

けれども、あっという間に安全地帯は消えた。
なぜなら、小さなアパートの一室のこと、両親が殴り殴られる音や声は押し入れにも届くからだ。
スミレは、暗がりの中で、押し入れの戸が思い切り引き開けられ、父親に引きずり出され、無残に殴り蹴られる自分を想像するようになった。
今来るか、もう来るかと思うと、全身が震えて止まらない。
母親の悲鳴を聞きながら、想像の中でスミレは何千回と殴られた。
子どもを壊すには、これで十分だった。

スミレは見えない恐怖に負けた。
押し入れを出て、両親を見ているようになった。
見ていれば、いつ自分の方に来るか、ちゃんと気付ける。

しかし、氷のように冷たい目が見ていたものは、もうかわいそうな母親ではなかった。
スミレの目の前で繰り広げられる光景は、だんだんと現実感を失い、単なる風景になった。
スミレの神経が侵され始めた証拠だったのだが、両親たちはそんなことに気付きもしなかった。

スミレ自身にとってもそうだった。
このころの記憶は、後に続く事件をきっかけに、スミレから失われることになる。






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