「お泊りの日」を、珍しいことにスミレは楽しみにしているようだった。
やはり、この娘は家が嫌いなのだろうと、ミドリは心が痛んだ。
しかし、ミドリにとってもチャンスだった。 哲也とじっくり話し合わねばならない。

哲也の給料は、3人で暮らしていくにはギリギリのものだった。
両方の実家からは、何度も援助を申し出てくれていた。
ミドリはありがたく助けてもらいたいと、何度も哲也に頼んだ。
しかし、哲也は頑なに拒絶した。
決して親の世話にはならないと言う。

それでも、ミドリの両親は、ミドリがたまに実家に顔を見せた時などに、そっと小遣いを持たせてくれた。
「哲ちゃんにバレなければいいでしょう。あなただって、たまには欲しいものもあるでしょうし、スミレにもね。でも、あなたは嘘をつくのがヘタだから、やましくない程度にほんの少しだから。気にしないで持ってらっしゃい。」
ありがたくて、涙がこぼれた。

ミドリはそんな小遣いを、お守りの中に仕舞い込んだ。
神社からもらったお守りではない。
サッカー部のマネージャーをしていたころ、必勝祈願といって他のマネージャーたちと手縫いしたお守りだ。
哲也の分をミドリが縫った。
それを手渡した時、付き合わないかと哲也から言われたのだ。

お守りは毎年作りかえられる。
哲也が3年になった時、負けたら引退の試合を控え、マネージャーたち全員で少しずつ縫った新しいお守りが渡された時に、去年ミドリが縫ったものを引き換えた。
ミドリはその拙い縫いとりのお守りを、大事に大事に持っていた。

スミレのお泊りリュックを支度しようと、ミドリはお守りを取り出した。
中からそっとお札を出す。
そのお札で、新しいパジャマと下着を揃えた。
スミレが大好きなキティちゃんのハンカチも新しくした。

帰宅して、それらのお泊りグッズを見たスミレは狂喜乱舞した。
この子にはまだ、こんなに喜ぶ力が残っていたのか。
1時間、2時間。スミレはまだ喜んでいる。かわいいね、きれいだね。
ミドリは嬉しかった。嬉しすぎて涙がこぼれた。
スミレには気付かれまいとしたが、とうとう見つかってしまった。

「ママ、どうして泣いているの?どこか痛いの?」
「ううん。スミレが喜んでくれてよかったなぁって思ったら、なんだか泣きたくなっちゃった。」
「ママ、大丈夫?スミレがお泊りに行っても大丈夫?」
「うん。大丈夫。だってね、ママもおばあちゃんちにお泊りに行くんだよ。」
「ホント!?」

嘘だった。
けれども、自分がいない間に、哲也に殴られる自分を心配している娘に、安心してお泊りを楽しませてやるには、嘘くらいどうということはない。お母さんには嘘が苦手と言われたけど、私だってもう子供じゃないのよ。

「さ、パパが帰ってくる前に、リュックに仕舞っちゃおうね。」
「うん!」

片付け終えたところで、哲也が帰宅した。
スミレにとって、その夜が哲也を見た最後になった。






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