「チョコちゃん!焼肉食べたい。一緒に行って!」
「はいはい、スミレちゃん。何時に出る?その気になったら3日くらい徹夜してもいいくらい仕事があるから、時間を決めないとエンドレスよ。」
「それは同じ。じゃ、30分後!」
「了解!おいしいビールのために、あと30分集中するぞっ」
「私はもうやめる〜 」
チヨコ先生とスミレ先生はとても仲が良い。
採用はチヨコ先生が1年早かったが、二人は同い年だ。
チヨコ先生が4年目、スミレ先生は3年目。
この春から、同じ1年生を担任することになった。
教師にとっては働きにくい土地柄と言われている。
親の学歴と権利意識が異様に高く、何かにつけご意見を頂戴する。
時には「ご意見」というより「無理難題」「難癖」に聞えることもある。
それも、担任や校長にダイレクトにやってくるならまだいい。
厄介なものほど、いきなり教育委員会に訴えるからたまらない。
この地域の教育委員会で働くのは、テレフォンショッピングの苦情係よりも辛いと言われている。
もとは教師をしていた人の中から、内輪で「本庁」と呼ばれる教育委員会へ出向するのが常だ。
だから、みな、一様にその苦情が本気で対応すべきものか、そうでないかの区別はできる。
できるが、寄せられた以上、学校に伝えなくてはならない。
できるだけ、枝葉末節を取り除き、現場に苦痛がないよう伝える必要がある。
二人の学校にも、「事件」が起きたばかりだ。
5年生の担任を持っている中堅の男性教師が、授業中に勝手に立ち歩いて窓の外を眺めたり、ロッカーにケータイを取りに行ったりする生徒を注意し、教室の後ろに立たせたのが発端だった。
保護者は教育委員会に怒りに燃えた電話をかけた。
「授業中に立ち歩いたからと言って立たせるのは体罰だ。そんな野蛮な教師にうちの子は任せられない。」
この母親は、男性教師が4月から担任を持ち始めて以来、約2か月にわたり、何百回となく授業中に立ち歩くことがなぜいけないのか、窓の外やケータイは授業中に見るものではないルールを言い聞かせ続けてきたことを知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。
立たせたといっても10分ほど、しかも教室の中だ。
学習権も奪っていないし、身体的苦痛を与えるほどでもない。
男性教師もほとほと困ってのことだったのだろう。
だいたい、同じ子どもを注意するために何百回も授業が中断されるとしたら、他の子供たちの学習権を保障していないことになる。
教育委員会でこの電話に対応した指導主事も「だったらどうぞ私学でも何でも、授業中に好きに立ち歩かせてくれる学校へ転校させたらいいでしょう。」と言いたくなった。
が、もちろんそんなことは言えない。
この件が報告された時、職員室は水をうったように静かになった。
誰もの心を浸したのは「徒労感」という名の毒薬だったに違いない。
その沈黙を破ったのは、説明をした校長自身だった。
「ということがありましたが、皆さんは今まで通りの指導を続けてください。
何かあったら私が責任を取ればよいことです。
何一つ間違ったことはしていないのですから、胸を張って子どもたちと向き合ってください。」
誰からともなく拍手が沸いた。
こういうのをリーダーシップというのだろうと、スミレさんは感激した。
この件は、それだけでは終わらなかった。
例の保護者への対応は校長と副校長があたった。
難航したのは言うまでもない。
いつしか、この件は他の保護者にも伝わった。
他の保護者のリアクションがすさまじかった。
授業中の立ち歩きなどもってのほか、それを教えてくれた担任を非難するなど同じ保護者として恥ずかしい、もしこれで教師が委縮して児童のなすがままにしてしまったら、この小学校は動物園と変わらなくなってしまうのではないか、先生方にはもっともっと子供たちに大事なしつけをしてほしい、そもそも4年までの担任は注意しなかったのか、という意見が嵐のように寄せられたのだ。
PTA会長が保護者に呼びかけ、アンケート調査を実施した。
90%を超える回収率だったそのアンケートの集計結果は、先生方を勇気づけるのに十分だった。
ただひとり、1年から4年までその児童を担任したベテランの女性教師が療養休暇に入った。
そして先週、発端となった保護者がご主人の異動とやらで他県に転居した。
学校は落ち着きを取り戻しつつある。
もしかしたら、この保護者の身に起きたことは、世にも恐ろしい出来事だったのかもしれない。
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コメント
コメント一覧 (2)
「悪貨は良貨を駆逐する」といいますが、この場合は「正義は勝つ」かな。
子どものためになることを教える、という視点で教育をすべきです。
4月に保護者会がありました。
携帯電話の使用について、ある保護者が「もっと自主性に任せてよいではないか」と意見を述べました。
でも、それに対して別の保護者が「学校のルールに任せるべきだ」と手を上げました。
うれしかったです。
携帯電話の使用は、年々ルール作りが難しくなりますね。
自主的であればなんでもいいような風潮は、集団活動を阻みます。
それとも、社会はもはや集団を必要としないのでしょうかね。
良識が優位の場所で生きたいものだと思います。