あれは20代前半、就職して間もない、ある秋の日の出来事だったと思う。

その頃はまだ実家に住んでいたのだが、崩壊しそうな家屋をいよいよ立て替えることになり、わずかに駅に近い小さなアパートへ、一時的に引っ越した。6人家族のうち、弟の一人はすでに赴任先へ旅立っていた。が、 5人が6帖1間で暮らそうというのだから、息苦しいことこの上ない。私は台所に布団を敷いて寝ていた。というか、寝るのがいやで、丁度お付き合いし始めたばかりの男性と、遊び歩いてばかりいた。

深夜に帰ろうと、徹夜しようと、翌日の授業に影響が出ない程度の体力と気力がまだあった、若いころの話だ。

その日、電車を下りて駅から歩いて帰った気がするから、多分出張だったのだろう。 普段は車通勤で、その道を歩いたりはしない。人気が少なく、あまり気持ちの良い道ではないのだ。

ああ、帰りたくない。
多分、それしか考えていなかったに違いない。

向こうにアパートが見えてきた。
ああ、やだやだ。

黒いコートを着た、背の高い男性が向こうから歩いてきた。
気にも留めない。
と、あと3メートルですれ違うかというあたりにきて、急に男性が立ち止まった。
黒いコートの前をはだける。
コートの下はワイシャツのみで、下半身は何も身につけていなかった。
ニヤニヤと気持ちの悪い顔をしていた。

こいつ、何がしたいんだ?
私は反応する気にもなれなかった。
悲鳴も、侮蔑の言葉も、発する気になれない。
見る気もないし、目を背ける気にもなれない。
ただ、すれ違おうとした。

男は慌てたように数歩走り下がると、再度ふり向いて、コートの前をはだけて見せた。
顔には先ほどのニヤニヤした笑いはなく、必死ささえ浮かんでいる。
私はそのまますれ違い、家に帰った。
追いかけてくるのかな?と思ったが、どうやらそのまま去ったようで、ついてこなかった。


金曜日、職場の近くに露出狂が出現したそうだ。
休日出勤だった土曜日、分担して巡回することになった。
その話を聞いた朝、私は周囲の男性たちに尋ねた。
「白昼、通行人に下半身を露出して見せて、何を求めているのですか?」
「そんなこと、尋ねられても分かりません。聞かないでくださいよ〜」
男性たちは一様に微妙な笑顔を浮かべて教えてくれない。

そんな中、「昨日のそれは私です!」と冗談を言った男性がいた。
私は長年の疑問をその人にぶつけてみた。
「そういう冗談が言えるあなたなら、わかるはずです。一体、何が楽しくてああいったことをするのですか?」

「きゃ〜って、言われたいんです。びっくりする表情が見たい。」
「は?」
「だから、きゃ〜、です。」
「びっくりさせて、きゃ〜って言わせるなら、他にいくらでも手立てがあると思いますけど。」
「いや、簡単なんですよ。お金もかからないし、用意も大していらないし。」
「あ〜なるほど。」
「だから、あなたがかつてしたように、無反応に通り過ぎられると、ものすごい恥ずかしさで身をすくめたと思いますよ。世の女性が全員そういうふうに無反応だとわかったら、露出狂は消えるでしょうね。」

いや、きっとその結論だけは違うと思う。
それでもやっぱり、きゃ〜というのではないかと期待して、試してみる男は存在し続けるのだろう。
そして、女性からは理解しがたいその心理は、実際に行動に移すかどうかの点に大きな差があるものの、心理自体はどの男性の心の底にも潜んでいるのではなかろうかという気がする。


「おい、くま。あなたもやってみたいですか?」
「いや、そんな勇気は絶対にありません。」
「そうか。やりたくなったら先に離婚してください。私はそーゆー男の伴侶は絶対に嫌です。」
「安心してください。断じてそういう挙には出ません。」

痴漢だ、わいせつ行為だと逮捕された男の妻たちは、みなそうやって安心していたのではなかろうか。
うちの人に限っては大丈夫。

どんなもんだか…






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