石割桜


4月27日、早朝から新幹線で盛岡に行った。
秋田の父が入院することになったので、お見舞いに行きたかったのだ。
しかし、新幹線の予約が遅くなってしまい、早朝しか取れなかった。
朝食を駅弁にして、本を開くまでもなくうつらうつらしているうちに、11時前には盛岡に到着した。

そのまますぐにバスに乗り換えるのかと思っていたら、くまさんが「盛岡を歩いてから行きましょう。」と言う。
秋田の家には17時ごろに帰ると連絡してあることを、この時聞かされた。ずいぶん間がある。

駅のコインロッカーに大きなカバンを預けて、散策することにした。
「石割桜が満開だそうだから、見に行こう。」
イシワリザクラという言葉を初めて聞いた。
ソメイヨシノやヤマザクラと同じような、桜の種類だと思っていた。

盛岡駅を出てしばらく歩くと、盛岡地方裁判所の庭に人だかりがしている。見れば満開の桜。それが、イシワリザクラだった。

驚いた。
本当に巨石が割れている。その割れ目から、溢れるように桜の木が伸びて巨木になっているのだ。四方に伸び伸びと枝を張り、たわわに花が咲いている。ソメイヨシノより小ぶりで色濃い花だと思ったら、エドヒガンザクラという種類のようだ。

国の天然記念物になっていることも、この時知った。
そりゃそうだろう。巨石の割れ目から育った桜は360年も咲き続けているのだ。偉すぎる。

最初、私は、この桜が岩を割ったのかと思い、度肝を抜かれた。しかし、そういうことではなかったようだ。

岩は、元々割れて、隙間が開いていたのだろう。
そこへ、何かの拍子に桜が根付いた。
桜も小さなうちは、自分の環境が特異だと気付かなかったに違いない。
でも、成長するにつれ、何かおかしくないか?これはちょっと窮屈だと気付く。
よくあることだ。人間だと、このあたりに人生の分かれ道がある。

「なんでこんなに狭いんだ。両脇から押されて太れないのでは背も伸びないし、気分が悪い。自分はなんて不幸なんだろう。」
もしも、この桜がそんなふうに考えてめげてしまい、成長を止めてしまったら、今日こうして花咲くことはなかった。多くの人が遠くから足を運び、愛でて嘆声をあげるようなこともなかったのだ。

しかし、石割桜は違った。
きっと、この桜はこう思ったのだ。
「窮屈だけど、ま、いっか。」
環境は、この桜の不幸の原因にならなかった。
伸びられる方向へ伸び、咲きたいから咲き続けた。
桜としてできることを、飽かず毎年繰り返したに過ぎない。
私はその、潔さ、強さに魅かれる。


先日、スーツででかけなければならない日が続いたことがあった。
毎日同じスーツでは見た目が悪いと、一昨年愛用していたスーツたちを改めて出してきた。実は、何着もある。これが、すっかり太ってしまって、ジャケットは着られるものの、ボトムが入らなくなってしまったのだ。高校からほとんど体型に変化がなかった私としては、これは一大事だ。

ホックの右と左が7センチほども離れて、絶対に握手しないぞとそっぽを向いているスカートやパンツは諦めた。そもそも、お尻が入らないタイトスカートなんか、捨ててやろうかという気になってくる。

その中で、黒のチューリップ型のスカートは、なんとか入り、ホックもしまった。
そばにいたくまさんに言った。
「窮屈だけど、ま、いっか。」
くまさんは、声を荒げて答えた。
「いくないですよ。なんですかそれ。パツンパツンですよ。お腹がスカートを破りそうです。お尻裂けたら恥ずかしいです。そんなカッコで外に出ないでください。」

人は、潔さだけでは生きて行けないらしい。






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