写真を見てほしい。
3月7日の、左腕、ひじの内側の写真だ。

蕁麻疹

気持ちの悪いものを大写しにして申し訳ない。これは、少し落ち着いた時間帯に撮影した。かゆい。かゆいなんてもんじゃない。この夜、眠っている間に掻き崩して、赤い部分が3倍に広がり、血がにじんだ状態で目覚めた。ひどすぎて、写真なんかとれなかった。

ちなみに、同じ時に撮影した右腕の写真も見てほしい。

蕁麻疹なし

ちょっとカサカサ乾燥しているけれど、赤く腫れたところはない。

実は、スタートは腕ではなく、足だった。
2月下旬のこと。
左ひざの裏側に、ある夜突然ピキッと痛みが走った。
見ると、切り傷ができている。
しかし、膝の裏側のことだ。ずっとパンツをはいているし、切れるような何かが当たること自体考えられない。しかも、今ここで痛んだ。パソコンを使っている最中。椅子に座っていたのだ!

切り傷から、1時間後には赤いケロイド状の盛り上がりが出てきた。
気持ち悪く思っていると、たまらないかゆみが始まった。
ああ、蕁麻疹か。
すこしタイプは違うが、全身がゴジラのようにひび割れて腫れあがり、かゆくてかゆくて死ぬかと思った蕁麻疹を数年かけて治療したことがある。
あれに近いのかもしれない。

膝の裏が曲がらないほど腫れてから、今度はひじの内側にもできたという順番だ。
どちらも、蕁麻疹などが出やすい場所だ。
頭皮もかゆみが出た。顔もかゆい。

しかし、おかしい。
すべて、なのだ。
なぜだ?なぜ右には出ないんだ???

3月7日、湯あがりに鏡に映った腕を見てハッとした。
「これは、アトピー性皮膚炎だ!」
アトピーに悩む子供たちをたくさん見てきている。まさか自分がなるとは思ってもいなかった。医師ではないから診断はできないけれど、あまりに似ている。
大人のアトピーはストレスとの因果関係が深いらしい。


みなさんは、ナナをご記憶だろうか。
あの、恐ろしく仕事ができない人物について、2月末にとんでもないトラブルが生じていた。いや、トラブルは毎日起きていたが、これは確定的だった。仕事を教えるようにと言われて1年間預かったが、これは仕事を教えるとかいう以前の問題だと断定することができるトラブルだった。

かゆい、かゆい。

私は異動になる。このまま黙っていたら、また誰かが私の立場に立って、苦労した末にトラブル処理に明け暮れ、お客様は質の悪いサービスしか受けられず、本人にはその自覚をする力がないまま放置されるのだ。そんなことは断じてさせられない。

かゆい、かゆい、かゆい。

人権侵害と訴えられようと、越権行為と言われようと、断然阻止してやる。冗談じゃない。あ〜イライラする。だいたい、自分のミスが認められない性格してて、成長なんかするはずないじゃないか。「どうしてこんなことになったのですか?わかりますか?」と尋ねたら、あの人なんて言ったと思う?「Hikariさんのせいです。」だって

かゆ〜かゆ〜かゆかゆかゆかゆ!

許さん。絶対に許さないぞ。くびになってもいいから、あんなのが平然と同じ立場で仕事をするなんて状況は再現しないようにしてやる!

私は管理職にあてて、決意表明文を書いた。署名捺印して提出したのが3月8日。血まみれの左腕を掻きむしりながら書いたのだ。

心を開いて話せる同僚に、この話をした。健康面でとても似ているその人に、腕も足も見せた。「でもね、全部左なんだよ。変だね。」
同僚は涼しい顔してこう言った。
「当たり前でしょう。体さんはあなたの左側に拒絶反応を示しているんですよ。左と聞いてすぐわかった。」
ああ、そういうことか。ナナは私の左隣に座っているのだ!!!

同じチームで私の状態を目の当たりに見てきたでき過ぎ君にも腕を見せてみた。彼も、こともなげに言った。
「左側が本当にストレスなんですね。1年並んでいるとそうなるんですね。」
おお。やはり、そうなのか。

管理職と面談が実現したのは3月14日のことだった。管理職全員がそろい、1時間以上もかけて私から聞き取りをしてくれた。管理職ももちろん、これまでの状況は随時理解していた。しかし、スタートがひどすぎたため、少しでもできることが増えたら、大成長に見えていたようで、実質のひどさは伝わっていなかったことがわかった。

社長が決断した。
「わかりました。あなたが1年かけてここまで見極め、そういう結論を出したということは、何より尊重したいことです。後は私たちが責任を持ちます。きちんと形にして、あなたに報告しますから任せてください。」
私と同じ犠牲者が来年度は出ないことが決定した瞬間だった。

翌15日の朝。
写真を見てほしい。

一晩で消えた蕁麻疹


たった一晩で、蕁麻疹が、消えた。



花粉症克服記になぜ蕁麻疹の話か?と思っている方もいらっしゃるだろう。

心と体はつながっている。
これは、前回も書いた。
気持ちが落ち込んでいると体調が悪いとか、体調が悪いと気持ちも上がらないとか、そういうことならば誰もが理解できることだろう。

私が言う「つながり」とは、そういうレベルの話ではないのだ。

体は、その時に必要な感情を生みだし、私にその感情に沿った行動をさせることで、体が生きやすい場所を作りだそうとする。

今回、私の体は、左側に耐えがたくかゆい蕁麻疹を発生させることでイライラした感情を生みだした。今も思う。あのイライラがなかったら、私はあそこまでの決断を以て行動できただろうか?答えはNOだ。イライラが私を肚の底から怒らせ、その怒りが揺るぎない決意を生み、行動させた。

その行動が管理職を動かした。結果、私が大切に守り育ててきた組織は不利益を受け続けることを拒絶することになった。不利益の根源は、より適切な場で自分を見直し、より適切な方法で自分を成長させる機会を手にすることができた。

イライラの役割が終わった途端に、症状が消えたのは、もう苛立ったり怒ったりする必要がなくなったからだろう。

この「つながり」が理解できないと、私の花粉症克服もやはり理解できないだろう。

体と心は「病気」「不快な症状」という言語を使って、私たちに大切なことを知らせているのだ。






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