「それそれ。ちょっと、聞いてよ!もうないんだって!!先着順ってズルくない?あたし、文句言っちゃった!そんなことも分からないなんて、バカじゃないのっ

この姉さんは口が悪い。年上だろうと関係ない。姉さんを怒らせた日にゃ、身も世もなくやっつけられてしまう。この職場で、姉さんに「その言い方はダメ!お口にチャックなさい!」と言えるのは私だけになってしまった。すると姉さんは「Hikariさんが私をいじめます〜」と管理職に向かって叫ぶ。管理職はこのやり取りを爆笑しながら見ている。

 脱線した。

 姉さんが何を憤っているのかと言うと、東京国立博物館で開催される『王羲之展』の招待券が2枚あるから希望の方はどうぞというアナウンスがあったので、「私、いただきに行こうかしら?」と言ったことに端を発する。

『オウギシ』に興味を示す人がこの職場にいるとは、実は思っていなかった。書道の教員免許を取るために、大学で始めた書道では、この書聖・王羲之の書をこれでもか!と臨書させられた。高額のテキストには、彼の書が山ほどあって、今でも大事に持っている。苦労に苦労を重ねて提出しても「筆先の動きがですね…」意味不明の指摘を受けたものだ。

とはいえ、それほどの有名人とは思えず、マニアックな知識人か国語科が興味をもつ程度だろうと思ったのがいけなかった。きっとアナウンスした人の近くの席の方が、ふっと受け取ったのだろう。

実は姉さんも国語の免許持ちだ。だから、オウギシを知っていた。しかも、ペーパードライバー状態の私と違い、書道の指導ができる。関心を持つのは当然だった。私より先に体を動かし、もらいうけに行ったようだ。

しかし、私や姉さんが座っている席と、アナウンサーの席はとっても遠い。タッチの差で先着順に負けたことが怒りの炎につながったようだ。

「あらまぁ。あなたと私くらいかと思っていたのに、他にもいたのね。侮れないなぁ。」のんきに言う私に、姉さんはなおさら怒りの炎をたぎらせていた。そのやり取りを隣で聞いていた我がチームのチーフが尋ねた。

「二人してそんなに夢中になって…オウギシって、そんなに有名なの?初めて聞いたけど。」
「書道界の神ですよ。書聖ですよ。彼がいたから書道が芸術になったんですよ。」
「へぇ。すごい。そのオウギシって生きてるの?」

私と姉さんは顔を見合わせてしまった。
「チーフ、今の質問って、『モーツァルトは今も生きてるの?』って聞いたのと同じくらいすごい質問よ。」
「え?」

チーフは音楽大学の出身だ。
この例えはツボだったらしい。
「信じられない!無知にも程があるよ!もうそんなヒジョウシキなオロカモノとはしゃべりたくない〜」
カサにかかってからかう姉さんに反論する気力も失せたようだ。

いや、知らないって、オウギシは…。






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