高熱を発してうなっていたころ、知人が亡くなった。
知人といっても一面識あるだけなのだが、間に立つ人が私とはとても親しい。本来ならいろいろとお手伝いに上がるところだが、不調もあり、遠方でもあり、連絡すらうまくとれずにいるうちに、今日、初七日の法要まで終わったとのことだ。
悲しみと苦労の多い方だった。体調を崩してから長く床についていたと聞く。床につきながらも、先立たれた伴侶を看取った方だった。いろいろな環境が整い、これからようやく楽しみが増えるかと思った矢先の急逝だったそうだ。
心からご冥福をお祈りします。
親類縁者がみな高齢で参列できず、家族だけの小さなお見送りだったと聞いた。ならばなおさら、すぐにもお香典を送って、せめて香華を絶やさずにと思い立った。
不祝儀袋を用意し、薄墨の筆ペンでくまさんと連名の署名をした。内袋に名前を書いたところで、ふと、いかほど包んだものかと手が止まった。
これが会社の同僚のご家族とか友達のご両親とかいうことだと経験もあるし、周囲で相談して…ということもできるから相場がわかるのだが、今回のような微妙な間柄はかつてないことだ。失礼があってはならないので、調べてみようと思った。
ネットは便利でありがたい。お香典の相場が一覧表になっているとは!
ふむふむ、なるほど。
両親だと10万円、兄弟姉妹で5万円…用意する人の年齢とお亡くなりになった方との関係で相場が決まるのか。ということは、今回の場合は…このあたりに相当するのだろうか…
セカンドオピニオンも求めることにした。
別のサイトを見ると、全く違うことが書いてある。「お香典は5000円がいいところです。1万円以上も包むのはよほどのことがないかぎり、かえって失礼です。もし葬儀に参列し、饗応にあずかるようならそのお代を加えるのは問題ありません。」
ふむふむ、そういう考え方もあるのか。
あまりにもかけはなれているので、サードオピニオンも求めることにした。
「親類と相談して1万5千円にしたら、こっちからは以前10万円包んだのに、非常識で失礼だと先方から叱られた。私のお香典の額は失礼だったのでしょうか?」といった趣旨の相談だ。
回答には、実に丁寧親切、真摯な意見が寄せられている。関係性もあるだろうが、もらった同額を要求するというものではない、ということは共通見解のようだ。が、そういう可能性は見越しておくのが常識という意見もある。
「香典帳」なる言葉を初めて知った。いつ、どなたに、いくらのお香典をおくったか、いただいたかを記録しておくもののようである。なるほど、これがあれば、私のようなトリ頭でも、過ちは減らせるだろう。いまだそのような場面に出くわしていないからいいようなものの、「Hikariさん、母の時には1万円だったのに、父の時はどうして3千円なのかしら?私嫌われるようなことした?」なんて思われるようなミスをいつしでかすかと、内心恐れているのだ。
そういえば、今回みまかられた方のお連れ合いが亡くなった時、私はどうしたのだっけ?
微妙な関係はかつてない、なんてウソだ!わずか昨年の夏のことではないか!
暑い夏の日だった。その時も私は参列がかなわず、中に立つ人とメールでやりとりしたのだ。そのあと、どうしたろう?お香典は送ったろうか?いくらだったのだろう?記憶をいくらたどっても、まったく思い出せない。ああ、香典帳のことをもっと前に知っていたら!!!
この上、第4の教えを探しても混乱するだけなので、あとは自分の肚と相談することにした。
いつの間にか、誠意さえあれば多少の失礼は許される年齢を超えてしまったことに、今更ながら気がついた。
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コメント
コメント一覧 (2)
新郎は愛媛の後輩、新婦は青森の出身です
新宿での挙式、出張を無理やり作っては打ち合わせをしました
住むところが違えばやりかたも違い、費用はもちろんのこと
着物のガラまでこだわっておられました
風習はいろいろと難しいですね
おっしゃる通りだと思います。
先様がこだわっていらっしゃる習慣があると
それを踏みにじってしまった時に何が起きるかを
身を以て体験しています。お祝い事でしたけれど…
それがお付き合いってものでしょうけれど。