「私、昨夜、ふと気付いたことがあるんです。人間って、もしかしたら、ありとあらゆる感情を感じるために生きているのではないかって。私は小さいころから辛いとか苦しいとか、寂しいとか、切ないとか、そういう感情をこれでもかって味わってきました。

怖いとか、不安とか、痛いとか、もう嫌だとと思うくらいたくさん味わって、二度とこんな目に遭いたくないって、本気で思っています。なのに、似たようなことがたくさん起きるんです。ということは、私、何かこういう出来事から、気付かなくちゃならないことに気付いていないのかな?って、ずっと思っていました。気付かないから楽しみや嬉しさと縁がないのかなって。

でも、昨夜不意に、ポジティブでも、ネガティブでも、感じたらマル!って考えたらどうだろうって閃いたんです。蚊が飛んできて、イライラしたらマル!弟のことを思い出して悲しくなったらマル!両親を思い出して腹が立ったらマルマル!!って。そうしたら、心の底から笑いたくなっちゃって。今までの深刻な気持ちがウソみたいに軽くなったんです。」

「なるほど!その考え方、私も大好きになれそうよ。母のことでは怒ったり泣いたり、悩んだり自分を責めたり、本当にたくさんの感情を味わったわ。母はそのためにいたのだとしたら、好きにはなれないけど、感謝はできるわ。」

「本当にそうですね。好きじゃないっていうのも、感謝というのも感情ですものね。マル2つです!」
「何も感じない時が一番の危険信号、と思えば、無視することが人をどれだけ傷つけるかも理解できるわ。だって嫌ってさえもらえないって「あなたの存在価値はありません」という意味になりますものね。でも、どうしても受け入れがたい時には、逃げろ!って感覚もまたマルなわけね?」

「そうですね。逃げろ!っていうときの感覚、じんましんが体中に出て、痒くて痒くて居られないときに似ていますよね。避けなきゃならないもの…古いものとか、自分を傷つけるものとか場所とかが原因でじんましんが出るのも、意味があることかもしれませんね。」

「空気が合わないって、確かにありますものね。ああ、弓子さん、私、今、なんだかとてもすがすがしい気持ちよ。夫と出会ってからずっと幸せでしたけど、それとはまた違う、もっと深い長いものから解放されたようなすがすがしさ。これもマルね?」