「聞きたいわ。弓子さんはどんな体験をしたの?」
かあさんが尋ねてくれたので、私は誰にも話したことがない、ある記憶について話してみることにしました。
「小学生の時のことです。まだ融が生まれたばかりでした。夏休みだったような気がします。私はそのころラジオを聴くことを覚えました。土曜日の夜、深夜まで好きな歌手の話や歌を聞いていました。もちろん、両親は夜更かしなど許してくれませんから、布団にもぐって小さな音でこっそり聞いていたのです。
何曲か、歌を覚えました。大好きで大好きで、何度も歌っていたいくらい好きになりました。それを、日曜日だったのでしょうか、青空で気持ちの良い朝、私は大きな声で歌っていたのです。とっても気分がよかったことを覚えています。けど、父に怒鳴られたんです。「うるさい!少しは人の迷惑も考えろ!」って。
私、とっさに声が出なくなってしまいました。だって…言い返す言葉もなかったんです。普段から大きな声で歌うなんてしたことがなかったから、とんでもない間違いをしたと後悔しました。それ以上に、私の気持ちいいって人にとって迷惑なんだなって思ったことが忘れられないんです。
出来事は、話してしまえばたったそれだけの、幼い記憶です。でも、その時受けた印象は強烈で、私はそれ以来、家の中で楽しい気持ちを表現しないようになりました。でも、表現しないだけでは不安で、楽しい気持ちを味わわないようにしていたと思うのです。とてもとても、とってもがっかりしたの、かあさん!」
「辛かったでしょう。さみしかったですね、弓子さん。」
かあさんに言われて、私は落とさないように気をつけていた涙を、ポロポロとこぼしてしまいました。本当は、あの時、父に怒鳴られたあの時、こんなふうに泣きたかったんだよね、私。
「おばあちゃんも、本当は私みたいに寂しくて辛かったのかしら。本当は甘えたり間違えたり、楽しんだりしたかったのに、そんなのダメって自分で決めてしまったのかしら?自分は本当は誰からも好かれないって思って、意地を張って。そしたら意地っ張りをやめられなくなってしまったのかもしれませんね。」
コメント
コメント一覧 (8)
「どうしたの?」は 魔法のことば…
と紹介していました
どうしたの?と理由をたずね 相手の理由に共感する
その話と またまたシンクロ!!
「どうしたの?」「何があったの?」
尾木さんは共感の入り口だとお思いなのですね。
なるほどどと思いながら振り返ってみると、
私は共感までいけなくても、
「私はあなたにちゃんと関心を向けていますよ」という
メッセージを伝えたくて、尋ねているような気がします。
確かに、同じ出来事でも人それぞれに感じ方は違いますものね。
「どうしたの?」と尋ねて、答えてもらうには、それ以前に信頼関係が大切だったりもしますね。
なるほど〜。深く考えるきっかけをありがとう!
思わず、気持良くなって、大きな声を出したら、
怒られてしまったり・・
それが、ズーット、トラウマになってしまうって事・・
どちらかが、歩み寄れれば、ひきずらなくてすむのに・・・
どちらかが歩み寄ればいいのですね。
この場合、どちらが歩み寄ればいいと、くろこ姫さんはお考えかしら?
私は仕事柄、子供が親に歩み寄るケースを呆れるほどに見てきました。
あんたそれでも大人なの!?と毒づきたくなるのを堪えるのは大変です。
信頼できると 思える相手でなければ
「どうしたの?」と 尋ねられても
「別に」で 返してしまいますものね
そうそう!! 信頼していても遠慮が勝つと
やっぱり「いえ、大丈夫です」になってしまう。
尾木先生が「どうしたの?」を使いこなしていらっしゃるとしたら、
単に言葉を真似るだけではなくて、
考え方というか、生き方というか、存在そのものの魅力を学ばないと、みたいですね。
本当に勉強になります。いつもありがとうございます。
高校生の頃、アルバイトで買い増していったものです
LPを見たことがなかった幼少期、祖父がラジオをかけたままにします
折しもTHE BEATLESのLet it beが流行していました
「ははん、これだな?大人が言ってるエルピーってやつは…」
またひとつ賢くなったと得意げな8歳、1970年の曲です^^
あの頃、ラジオを聴きながら大人にしてもらった人
たくさんいたように思います。
いつの間にか、言葉と音が流れっぱなしのラジオが苦手になりました。
今は、自分で選んだ音だけで十分。
それだけ周囲がやかましくなったのかもしれませぬ。