融が突然死んでしまいました。私は何もかも、嫌になってしまいました。
私の人生は、どうしてこんなに辛いことばかり起きるのでしょう。
あの頃の私は、それ以外考えようがありませんでした。
あの頃の私は、それ以外考えようがありませんでした。
11歳も年下の弟は、私の息子のようなものでした。
本当のところ、子供どころか結婚もしていない私が息子などと言うのはおかしな話です。けれど、本当にかわいい、かけがえのない存在でした。
どうやら、あの子と最後に会ったのは私のようです。私をマンションに送り届けた後、彼は飲まないはずの缶チューハイを2本、コンビニで買ったようです。それをなぜか、家の上にある公園で飲んだようなのです。
酔って階段を踏み外し、意識を失った弟を発見したのは、早朝、犬の散歩に出た近所の人でした。弟は怪我をしたまま一晩、倒れていたのです。空き缶の入ったコンビニ袋が、弟の手首ににかかっていたと聞きました。
虫の息のところを病院に運ばれ、両親に連絡があり、私も駆けつけました。が、あっけなく、弟は息を引き取ってしまったのです。信じられないことでした。前の晩、ふたりでひとつのオムレツを食べたのに。
ドラマでは、大切な人が死ぬと遺骸に取りすがって泣き叫びますけれど、私は涙ひとつこぼれませんでした。悲しいとも辛いとも思いませんでした。ただ、腰の骨がひとつコンと取り外されたような、なんともいえない気持ちでした。
通夜だとか葬儀だとか、あまりよく覚えていません。火葬場で白い骨になったあの子を見た時、何か悪い夢でも見ているような気がしただけでした。「姉さん、姉さん」と、電話がかかってくるような気がしてならないのです。

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コメント
コメント一覧 (2)
養父を失った中学生の時、涙を流さない私は
直情的な女性である近親者になじられたことを思い出しました
葬儀が終わり、すべての近親者が自分の生活に戻った時、
山に登り、一人で泣いた記憶があります
ひとそれぞれが感じていることを、
簡単に「悲しかったですね」などと言葉に置き換えることが
間違っていると思うことが多々あります。
自分の感情の揺れ幅で相手を計ることがないようにと
今日も自分を戒めています。