どうも、勘助です。
かあさんもおやじさんも、ヒツジもどきの後藤さんも絶句しました。私は、ばあちゃんが座った時、もしやと思ったことが当たってしまい、当惑していました。
人間、命のともしびが消えようとする時、お尻の肉が薄く薄くなっていくのをご存知でしょうか。帳尻を合わせるといいますが、命の帳尻の尻の部分が、命と一緒に消えていくのです。その薄さを、私は感じとってしまいました。
「お、大奥様。そのようなこと、後藤は聞いておりません。」
「それはそうでしょう。誰にも話していませんもの。医者たちには口止めしましたしね。自分のことを他人に先に話されてたまりますか?」
「そういうことではございません。診断は確かなのでございますか?セカンドオピニオンは?治療の余地はないのでございますか?」ヒツジもどきはばあちゃんにとりすがって、必死の様子です。でも、ばあちゃんは笑っています。
「落ち着きなさい、後藤。いい歳をして見苦しい。できることはしたつもり。病院で管につながれてでも生きたいならば手はあるらしい。でも、私がそんな質の悪い時間に耐えられると思って?ムリムリ。人生楽しまなくちゃ。」
「大奥様…」ヒツジは言葉が継げなくなりました。
「で、花亜。私ね、庶民の暮らしがしてみたいの。物や人が私に合わせるのではなく、私があるものに合わせる暮らし。やっていないのはそれくらいだから。」
「それならお母様、ここより病院の環境に合わせてお暮しになれば、お楽しみもでき、お命も伸びますのに。」かあさんは笑顔で言い返しました。
「いやよ。病院には…」ばあちゃんの答えはよく聞こえませんでした。

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コメント
コメント一覧 (2)
取引業者におしどり夫婦であることを紹介したところ、
あの写真がご主人ですか、と返ってきました
思いがけない展開に、写真へ近寄ります
すい臓がんを宣告され、自由に生きて67歳の生涯を
予告通りに閉じられたそうです
宣告後の過ごし方、考えさせられました
目の前にすると、考えさせられますね。
「人は生きたように死ぬ」と聞いたことがあります。
余命は宣告されようとされまいと、誰もが刻んでいる時間です。
自由に生きて。
いいですね。
変換ミスは、ないほうがよいものと思われがちです。
でも、私は、あれはご本人の不注意ではなくて、
神様のメッセージだと思うのです。
わざわざそんな文字になっているのはなぜ?と思ってみると、
意外に大発見があります。
だから、気になさる方に注意を受けた時には反省して直しますけれど、
どなたかのミスは滅多に指摘することはなく、
哲学の種にさせていただくことにしています。