被害者でいると、「大丈夫か?」と聞かれても、「本気で心配してるの?」になり、「心配なら会いに来てくれたらいいのに」になり、感謝どころか要求が募るばかりです。そのくせ、相手が気分を害したと気付くと、手のひらを返すように「いいのよ、私のことは。」と言ってみたり、「あなたって本当に冷たい人よね。」と責めてみたり。相手はわけがわからなくなって疲れてしまいます。相手は夢中で仕事をしていただけなのに、知らない間に「無視の加害者」にされてしまうのです。

被害者意識の強い女性は「私のことは捨ててもいいの」と言いながら、本当に離れようとすると「あなたには私の愛情が伝わらないのね」と言い出す。ふたりの関係についてはすべて男に期待して、自分からは何もしない。期待にそぐわないとプレッシャーをかける。男だって大変なんです。これではたまったものではありません。

姉さんが被害者でいる限り、彼氏はいつも加害者です。そして、彼氏がその理不尽さに腹を立て、姉さんを加害者だと見始めると、今度は彼氏が被害者になってしまいます。そうやって、相手を責めて、自分を守って、安らぎのない関係が出来上がってしまうのです。「そっちが○○するのが当然でしょ。」と押し付け合う関係です。

姉さんと彼氏との間に起きたことも、きっとこんなだったのではないでしょうか。 

「やってもらって当然」は、赤ちゃんの世界です。赤ちゃんは「申し訳ありませんが、おしめが濡れて気分が悪いので取り換えていただけませんか、あ、手が空いてからでかまいません。」なんてお願いしませんよね。「いやいや、今日も美味しいおっぱいでした。ありがとうございました。お手数をおかけしますが4時間後にまたお願いします。」なんて感謝する赤ちゃんがいたら気持ち悪い。

でも、大人の世界、責任ある大人の世界には、1対1の対等な関係の中で「やってもらって当然」のことなんてないのですよ、姉さん。

「鬱」というのは、被害者にならないための行動を打ちやった人の気持ちのことを言うんだよ。「鬱」「打つ」「うつ」。同じ音だよね。被害者意識で生きていると、いつか何もしたくなくなってしまうんだ。だって被害者意識を抱えて努力しても、満足することはないからね。燃え尽きてしまうんだよ。







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