実は、ナナのような人と組むのは、ナナが最初ではないのだ。
数年前にひとり、昨年ひとり、組んでいる。多分、同じ世界の住人達なのだろうと思われる。彼らは、私の常識を常に打ち砕いてくれた。
今思えば、彼らは非常に不思議な役割を果たした。彼らが失敗すると、その原因究明やフォローのために、周囲がとても親密に、真剣に話し合いを持つことが増え、チームワークが増したり、意外と細かく深く計画ができたりした。
そのたびに、私は、私が想定した「最短距離」以外にも、道はいろいろとあるのだということを思い知らされた。かつ、私の「最短距離」は、私か、私と同等の経験なりを持った人でないと楽には進めないが、ほかの道なら、誰でも行けるのだとも気付いた。
それでも、私は私の「最短距離」にこだわり続けたと言っていい。結果、ナナは当然ついてこれない。私だって楽々最短距離を進むわけではないので、注ぐべき力をナナに削がれて、苛立っていたわけだ。
「最短距離」へのこだわりを一旦捨てて、楽しく、誰でもできればどれでもいいやと思ってみる。なるほど、疲れない。でも、何かしっくりこないのだ。自分の「楽しい」が最優先だけでは、どうも居心地が悪いのだ。
ここまで来て、ようやく気付いた。自分は、自分の楽しさ最優先の生き方をして来なかったわけではなく、「何が楽しいか」について、気付かないうちにちょっと違うハードルを設けていたのだ!!!
それは、「私らしさ」のようだ。自分で「これは私らしい仕事の出来だわ!」と思えることを、意外なほど大事にしていたのだ。人からの評価も大事だけど、自分で納得のいく出来栄えでありたかったのだ。職人根性というのかもしれない。

コメント
コメント一覧 (2)
若い頃は許せませんでした
仕事のできない上司には、よく噛みつき理詰めで抑え付けました
それが何だったのだろうと思うと虚しいので
レクリェーションだったと思うことにしております
そののちにも上司の不手際を余所から聞くと、頷いてしまいます
…さもありなん、さもありなん♪
いろんな楽しみ方を見つけられるHikariさんですね^^
ずいぶん前から、私の最短距離を活用しようとする上司にはかわいがられてきました。
活用さえできない上司にとっては、私は脅威だったようです。今思えばお気の毒に。
年齢・立場を問わず、数年にひとりくらい、私の最短距離に挑んでくる人がいます。
たいがいの人は、私の最短距離を理解することからして難しいようなのですが、挑戦者は、理解したうえで超えてやる!と。
こういう方に出会うと、楽しくて楽しくてしかたがありません。