実は、ナナのような人と組むのは、ナナが最初ではないのだ。
数年前にひとり、昨年ひとり、組んでいる。多分、同じ世界の住人達なのだろうと思われる。彼らは、私の常識を常に打ち砕いてくれた。

今思えば、彼らは非常に不思議な役割を果たした。彼らが失敗すると、その原因究明やフォローのために、周囲がとても親密に、真剣に話し合いを持つことが増え、チームワークが増したり、意外と細かく深く計画ができたりした。

そのたびに、私は、私が想定した「最短距離」以外にも、道はいろいろとあるのだということを思い知らされた。かつ、私の「最短距離」は、私か、私と同等の経験なりを持った人でないと楽には進めないが、ほかの道なら、誰でも行けるのだとも気付いた。

それでも、私は私の「最短距離」にこだわり続けたと言っていい。結果、ナナは当然ついてこれない。私だって楽々最短距離を進むわけではないので、注ぐべき力をナナに削がれて、苛立っていたわけだ。

「最短距離」へのこだわりを一旦捨てて、楽しく、誰でもできればどれでもいいやと思ってみる。なるほど、疲れない。でも、何かしっくりこないのだ。自分の「楽しい」が最優先だけでは、どうも居心地が悪いのだ。

ここまで来て、ようやく気付いた。自分は、自分の楽しさ最優先の生き方をして来なかったわけではなく、「何が楽しいか」について、気付かないうちにちょっと違うハードルを設けていたのだ!!!

それは、「私らしさ」のようだ。自分で「これは私らしい仕事の出来だわ!」と思えることを、意外なほど大事にしていたのだ。人からの評価も大事だけど、自分で納得のいく出来栄えでありたかったのだ。職人根性というのかもしれない。





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