給料のためだけに働いているのでは、断じてない。これは、この仕事の人共通に言えることだと思う。給与額に対して、仕事が多すぎる。拘束時間も長すぎる。もっと効率のよい仕事は、不景気な世の中だっていくらでもあるだろう。

熱を出して私が実施したように、この状況で休みたかったら、自分が抱えている仕事を、他の人にやってもらって、仕事量を減らすしかないのだ。そうでなければ、仕事の質を落とす。絶対量を減らさなければ、休みは生まれない。

ナナと組むことになって、私が理想としているチーム状態は完全に諦めている。ナナでなければ、私の仕事はもっと減っている。だからナナがいることに腹が立つし、苦しい。しかし、ナナはいて、私の仕事を分担できるようにはなれないのだ。

先週、発熱する前に必死になってやっていたことは、ナナ以外の人々に、元々持っていた仕事と、ナナのために増える仕事の両方を、広く薄く分担してもらうための段取りだった。ほぼ完成したと思った途端に倒れた。天の采配なのだ。

そうやって手に入れた貴重な時間で、私は反省している。一体、私は何をしているのか?何がしたいのか?なぜ今ナナと組んでいるのか?人生を総ざらいして、先を見通すのだ。それしか、生き延びる道はないぞ。

そもそも、なぜ私はこんなにも仕事を抱えているのだろう?職場の中でも指折りだ。もともとものすごい仕事量の職場にあって、中でも指折りでいることを自分に許している背景は何なのか。なぜ進んで苦しみを受け入れてしまうのか。手放さないのか。

自分が本当に求めていたものをとうとう探り当てた。気付けばあまりにも馴染んで、当たり前になっていた感情。それは、「自分は役に立つ人間だと重要人物から思われていたい」というものだった。





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