今年になってから、急激にウエスト周りが太りだした。
もともと、あまり太らない性質だが、昨年くらいから急に体重が増えたかと思うと減り、減ったかと思うと増える。この年齢なら特段珍しい話ではないらしい。
しかし、なぜウエストなんだろう?スーツのボトムだけ着れなくて困るじゃないか。楽しみにしていたピンクのスカートも、お気に入りの足が長く見えるパンツもファスナーの右と左が握手しようとしない。おいおい、仲良くしようよ。
そういえば、「徒然草」にこんな一節がある。
おぼしき事を言はぬは、腹ふくるるわざなれば…(第十九段)
徒然草の大家・安良岡先生はこう訳す。「言いたいことを言わないのは腹がふくれることだと…」
「おぼしき」は「思し」または「覚し」が終止形だ。つまり、形容詞シク活用の連体形。動詞の「おぼす」と一緒だと思ってはいけない。「おぼす」は「おもふ」の尊敬語だから、意味が通じなくなる。ま、センター試験レベルの判別だな。
それはさておき、「おぼし」は、「思ったこと」というより、「望ましいこと」「こうありたいと思うこと」という方が正確らしい。つまり、心に浮かんだことを言葉にしないのは…ではなくて、願望や主張を言わないでいると…ということだな。
なるほど。こうしたい、これがいいと思うという、自分の大切な思いを言葉にしないでいるとメタボになるわけか。そういえば、3月末から、一番言いたいことを飲みこんで腹に溜めた状態だ。言っても通じないし、人権問題だからなぁ。
「通じない」…つうじがない…お通じがない…おお、それでは腹も膨れるわ。
「こうありたいと思うこと」をきちんと言葉にしてみよう。ついでに、行動にうつせたらいいのだけど。最近、自分の「こうありたい」を見失っているんだな、これが。

ちなみに、徒然草の大家・安良岡康作先生は、私に国語科教育法を教えてくださった恩師です。とっても面白い先生だったなぁ。
コメント
コメント一覧 (4)
その通りだと思いました。
Hikariさんがそうだとは思えませんが
面倒くさいものだから、ここしばらく、長いものに巻かれよ式を通してきました。
いつのまにか妥協に慣れて
自分の筋を通すことを忘れていましたね。
ちょっとがんばってみようかな。
こうありたいっていうものを持っていると、
いろいろぶつかったり、突き通ったりするから
厄介なのですよね。
もう、そういうのが面倒くさくなって、
安心な「長いもの」が欲しくなります。
それでも、いいんじゃないのかな、たいがいは。
でも、ちょっと頑張ってみようかな?と思える時は
頑張り時かも。
結局、答えは自分が一番良く知っているはずなんですよね〜
その段を読んだ時、私は思いました。
兼好さんって、よっぽど女運が拙かったんだなぁ。
実はそれで出家したんでないかい^^