怒りも恨みも、気持ちが通じ合わないことも、考え方がかけ離れていることも、どれも苦しいものだ。だったら、いっそ感じなければよいのに、気付くと自ら進んで苦しさを感じようとしていることがある。
執着はよくないと言われるけれど、なぜいけないかというと、こだわっている物事が思い通りにならないと、たちまち苦しみに変わるからだ。苦しみはストレスとなって、私たちの体や心をダイレクトに蝕む。
腹立たしいと感じたことを、なぜ繰り返し繰り返し思い出してはイライラし続けるのか。なぜ苦しみを握りしめて手放そうとしないのか。心を大きくして、強くして、苦しみなんか手放せる人間になるべきだ。そんな本や考え方も多い。
けれども、苦しみを握りしめ続けるのと同じくらい、そこにある苦しみを無視しようとしたり、無理して何もないふうを装うのは私たちを損なうのだと思う。また、その必要もない。なぜなら、私たちはひとりで生きているわけではないからだ。
叱られて、身にしみて覚えることがある。怒られて、ようやく気付く真実がある。恨まれて、初めて振り返れる欠点がある。そうやって、人は自分だけでは見えない自分を見たり、育てたりすることができる。誰かの苦しみが私を育てる。
できれば誰かの苦しみに寄らず育ちたいものだけれど、そういう一面は確かにある。だから、苦しみは抱える意味も価値も、きっとあるのだ。かといって、しがみつく必要もない。いずれ速やかに手放すつもりで、あるうちは大事にしてみる。
今回私を心底落胆させ、怒りを通り越して悲しい気持ちにさせた人物も、ダイレクトに気持ちをぶつけられて、さすがに背筋が伸びたらしい。その後ちらりと見かけたら、表情が引き締まっていた。ま、恐怖に戦いているだけかも知れんが。

コメント
コメント一覧 (4)
頭を撫でて、アイスクリームでも
ごちそういたしましたのに…
憎むほうが短絡で楽です
でもいつまで経っても苦しみからは
逃れられませんね
だんだん忘れっぽくなってきたのは
憎むことの蓄積が増えてきたことへの
自己防衛なのかも知れません
FREUDE さんのところでいつもお見かけしています。
怒りをポジティブなエネルギーに変えて
きちんとした人間関係を築くことって
とてもむずかしいですね。
相手の度量という問題もありますし。
相手の方も、Hikariさんに指摘されて
成長したのではないでしょうか。
お近くでしたらよしよしと、
頭をなでていただいて、
アイスクリームなどごちそうになったら
もっとゴキゲンな毎日でありましょうに…
怒りとか憎しみとかが
「あいつが悪いっ」というレベルで止まっているうちは
苦しみはなくなりませんね…
初めまして。ようこそおこしくださいました!
成長してくれたかな?それなら嬉しいなと
思いました。
それでも、怒ってしまったことを反省するつもりはないくせに、
なんだか気分が悪いものですね。
怒りは消えても、気軽に連絡する気になれないでいます。