花岡達也君。祭壇というのは案外高いものだね。自分の写真の後ろから、君が私に話しかけるのを不思議な思いで聴いていました。素敵な言葉たちをありがとう。斎場に集まってくれた懐かしいみんなにも、本当にありがとう。

花岡君が私に憧れて教師になったとは、少しも知りませんでした。ありがたくももったいないことです。君は相手の気持ちを察する感性が尋常ではない。きっと君でなくてはいられないという生徒がたくさん現れることだろうね。

私の教師人生は、とても長いようだったけれど、終わってみれば、あっという間でした。次々に祭壇の前で焼香していく若者の顔を、あの子だ、この子だと思うけれど、どこでの卒業生だったのかが分からない。しかし、忘れないものだね。

愉快なことばかりが思い出される。必死になって走り回ったことも、説教したのも、失敗を生徒に笑い物にされて赤面したのも、まるで喜劇映画を観るように楽しいばかりだ。幸せな人生だったのだと思い知らされるよ。

花岡君。事務仕事にうつつをぬかしていてはいけないよ。力をつけなさい。紙を見つめる時間はとことん減らして、子供たちの傍に在りなさい。そういう意味で、能力を高めようと常に思い、諦めずに努力しなさい。

「やってもできない」ということについて理解を深めなさい。「やればできる」というのは迷信だよ。日本の教育は、この「やればできる」が崩壊させたのだ。やろうともしないのはいけないが、完成のみを見て過程を見ないのは教育ではない。

などとこんなところで言ったとて、君には届かないね。よいよい、君はいずれ、自分の力でたどり着くだろう。ちょいと一足お先に向こうへ行って、読書三昧の日々を送ることにしよう。ゆっくり追いついておいで。しばらくさようなら。





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死んだとなったら、浮遊霊とか地縛霊とかにならず、すっきり逝きたいものです。
富裕霊ならなってもいいし、自爆霊なら願わなくてもなれそうだけど