着たくて着たくて買った服が、なんだか体に合わない。

どうやら、表示されているサイズより小さくできているらしく、圧迫が苦手な私には苦痛になってしまうのだ。

きれいな色、温かさ。なにもかも抜群なのに。試着もしたのに。3時間後に苦しくなるなんて思ってもいなかった。

上下そろっているのに、両方ダメとは本当にがっかり。



きれいに洗濯してタンスの中に入れていたのだけど、先日、ほしいという友人にあげてしまった。

「ひゃ〜、これ全部だと何万もしますよ〜ありがとうございます」と恐縮する友人に、感謝しているのは私の方。

彼女が着てくれたら、あの大好きな服たちは活躍の場を得られるのだもの。

あの服たちが悪いわけじゃない。ただ、私の体に合わなかっただけ。

私の手元にあってもタンスの肥やし。でも、彼女はそれを生かしてくれる。

もらってくれて、本当にありがとう。

私も、彼女も、服も、み〜んな幸せ



子供のころから、捨てるとか手放すとかいうことには、どこか罪悪感がつきまとい、なかなかうまくできなかった。

でも、ある時、気付いた。

どれも捨てられないということは、
何も大切にできないのと同じことだ。

結婚を申し込んだ相手がいるのに、他に5人も10人も、婚約者と同じようなお付き合いをしているとしたら、婚約者は自分が軽んじられていると思って去っていくだろう。

それと同じことだ。

大切なものを大切に扱うことの裏側が、大切でないものを切り捨てることなんだ。



大人になったからか、今では切り捨て方もうまくなった。

ゴミとして消滅させる以外に、生かす道はたくさんある。

最初からゴミにしない前提で手に入れるだけで、その道は広がる。



大切なものを選び取るには勇気と決断力がいる。

厳しさから逃げていると、大切なものを大切にし続けることはできないらしい。

その見返りに、大切で大好きなものに囲まれて暮らすウキウキした時間が手に入る仕組みになっているようだ。



自分に丁度良いサイズの、同じブランドの服を改めて買い直した。

やっぱり大好き。毎日着たいくらいに!!

私も、新しい服も、やっぱり幸せ



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どうにも好き過ぎて、さっき、色違いを注文してしまいました