友人が昨日結婚式を挙げました。

遠隔地でのお式だったので、帰省帰りにそのまま参列するという友人にメッセージを託しました。

ようこそ、人生最大の修行場へ



20代前半くらいには私もお呼ばれすれば参列していた結婚式。

でも、ひとつの出来事をきっかけに、その後は一切お断りして、弟たちの式以外には出たことがありません。

最初の結婚が破たんした直後、まだ混乱のさなかで、親友以外にはそんなことになったと言葉にすることができずにいたある日、高校の友人の結婚式に参列した帰りのことでした。

「お祝い、何か買って送ろうか。みんなでいくらかずつ出し合って。」
「そうだね、今日来ていない人にも声かけよう。」
「何がいいかな?選びに行ける人いる?」

そんな会話だったと記憶しています。

私も選びに行けるよと、言った時です。

「あなたに行ってもらっても縁起悪いしね。」

衝撃の一言でした。それを否定したりフォローしたりしてくれた人はひとりもいませんでした。

みんな、私が離婚したことを知っているんだなと思うと同時に、そうか、私はおめでたい席には不似合いな、縁起悪い存在なのかと素直に思ってしまった。

穴があったら入りたいというのは、ああいう感覚を言うのでしょうね。

以来、私は誰の結婚式にも出ていないし、その場にいた友人たちとは一度も会っていません。

何度か会えるチャンスはあったのだけど、そのたびに体調を崩したり、のっぴきならない仕事が入ったり。どうしても近づくことができませんでした。



誰が言った言葉か、他に誰がいたか、まるでブルーレイで高画質に録画したかのように記憶していて、いつでも生々しく再生できる体験。

本当に長い月日が流れているのに、いまだに忘れられない体験。

言った人を怨む気持ちには全然ならない。
フォローしてくれなかった人たちを嫌いになったわけでもない。
でも、忘れない。

その後の人生で、もっとヒドイことを言われたり、されたりした体験は山ほどあるのを適度に忘れているのに、どうしてあの記憶は薄れないのかな?

この問題は、長いこと私の中で大きな疑問でした。



先日、ふいに、その疑問が解けました。

そうか!そういうことか。
知らなかったこととはいえ、私が悪うございました。
あはは、な〜んだ



体は、私がこの謎を解くまで彼らに会わなくていいように、気を使ってくれていたのでしょう。

この謎が謎のままで会っても、私はまた別の何かで、彼らに同じことを言わせていたでしょうから。

ありがとう、体さん。



集まるチャンスがあったら、今度は行けそうな気がします。



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そんなチャンス、あるのかな???